「ゆるい」ってすごく厳しい
ものごとには常に反対の力学が働く。
たとえば、「ゆるい職場」があるとしよう。そのゆるさがプロセスに対してなのか、結果に対してなにかによってニュアンスは変わってくるが、いずれにせよ厳しいということには変わりない。
①「プロセス」の管理がゆるい
プロセスを管理されないということは、無法地帯ではなく、むしろ自分自身で日々の計画や進捗を管理しなければならないということでもある。
いつか何かの締切がやってくる。必ず成果を出さなければならない。
なぜなら、プロセスが管理されていないので、本人が途中どれだけがんばったかどうかなんて知ったことではないからだ。
課せられたミッションに対して成果が出せれば「よくがんばったね」ということになるし、成果が出なければ「無能ですね」ということになる。
プロセスの管理がゆるいからこそ、プロセスを自分で管理し、自分で成果にこぎつかなければならない厳しさがある。
②「結果」の管理がゆるい
結果の管理がゆるいというのは、経営としてはあるまじきことである。しかしながら、結果を把握・分析できていないまま経営をしている人も案外多い。結果の管理については経営側の課題である。
とはいえ、結果を管理できていないゆるさというのは、結局厳しさとなって個人に跳ね返ってくる。
仮に、プロセスの管理はできていたとしよう。おかげで「やり方」や「在り方」についてはよく理解し、日々真面目に業務に取り組んでいる。しかし、良い結果が出ようが鳴かず飛ばずであろうがフィードバックが薄い。何なら成果ではかられるポジションですらないかもしれない。
するとどうなるか。よほど自分で成果に対する意識を持たない限り「仕事をした気」になるばかりである。
耳が痛いことを言う。新たな価値を創出し、それが成果に結びつかなければ、仕事ではなくただの作業である。
結果を管理されていない中で、成果を出せるほどに自己成長するには自らを律し成果を意識しなければならない。さもなくば、人生100年時代にありながら「使いものにならない」人材になるだろう。
作業が仕事だと思い込んでいる人は、今後はアルバイトまでしかできないだろう。
③プロセスの管理も結果の管理もゆるい
プロセスも結果も管理されていないなんて、現実的でないようでいて何気に現実的である。大して仕事ができない人、大して仕事をしない人が放置され、そのままのさばっている会社も多いのではないだろうか。個人単位では全然身近な話である。
プロセスも管理されていない。結果も管理されていない。
ともすれば、①②のパターン以上に、よほど自分で目的意識を持たなければぬるま湯で茹でガエルになってしまう。茹でガエルの行ける先は、そう多くない。ぜひ、このまま逃げ切りたいところだ。
ところが、ぬるま湯は過去の遺産になりつつある。今、どんな企業も生存をかけて文字通り「必死」なのだ。茹でガエルを養う余裕はない。
ある日、突然風呂ごとひっくり返されて、社会に全裸で放り出されるだろう。湯冷め程度では済まされない。
自分で気づけない人間にとっては、ゆるさはそのまま厳しさとなるのである。
これから
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