「人生は演劇である」と思えたら、複雑化してしまった暮らしの糸は解ける
社会のルールしかり、会社やプロジェクトチームの活動しかり、埋め込まれたフィクションの中で、それなりの役につきたければ上手にそれを演じなければなりません。おそろしいですね。
分かりやすいのは仕事でしょうか。職場でいいポジション(役職とは限らない)につきたければ、役割を上手に演じなければなりません。
「まったく演じていない」という人で、健全な心と立場を保っている人は世界に4人ぐらいしかいないと思います。
社会と役割と人格が完全に合致するなんて考えづらいことですから、私たちが無意識にでも演じているのは確かです。
台本のない劇
私たちの人生は、台本のない演劇に参加させられている役者のようなものだと思うのです。
「いらっしゃいませ」など、接客マニュアルや卒業式のあいさつを除けば、セリフはいつもアドリブ。あまりに大根役者だと役から外されてしまいます。
いい役者はある程度いい役が選べるし、大根役者はもらえてもエキストラのような役しかありません。時々、人気だけで主役に抜擢されることもありますが、今度は劇自体のクオリティがひどいものになります。
私たちは三文芝居に参加させられている
先日、友人と話していたときのこと。友人が参加しているプロジェクトチームの話題になり、リーダーへ不満を持っていることを明かしてくれました。
そのリーダーは、個人の課題は上手にこなすけれど、チームと足並みをそろえたり、チームのやる気を引き出したりというマネジメントの面で、激しくチームにマイナスを与えているということでした。
メンバーのモチベーションは下がりに下がって、チームの生産性もまた地に落ちました。それに対し、リーダーはメンバーをポンコツ扱いして怒り始めたそうです。
プロジェクトチームを劇と見立てれば、このリーダーは大根役者です。しかも、リーダーという重要な役を演じている(演じれてないんですが)。これでは三文芝居です。
「チーム全体で恥をさらすことになりかねない。こんな劇はもうやめてしまうか、惰性で演劇ごっこを続けるか…。」
似たような状況は、誰しも経験があるのではないでしょうか。
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