意味と価値の中でいろんな人が共存しているね
「無意味と分かっていることに、さも意味があるかのごとく真剣に向き合い、それでいて半笑いで、微妙に結果を出す」みたいな。私は、そういう生き方がしたいです。無意味は退屈だし、かと言って意味は暴力になりうるから、ほどほどにやっていきたい。
意味や価値については、千差万別。意見の分かれるところです。
私は「この世界には絶対的な意味も価値もなく、すべては相対的である」という立場を取ります。(それを別に善いとは思っておらず、覆すような視点を日々探していますが、今のところしっくりくるものは見つかっていません)
逆に、絶対的な意味や価値を信じている人もいることでしょう(絶対とか相対と言っているこの話がピンときていないとしたら、その時点で絶対的意味や価値を受け入れている可能性が高いといえるかもしれません。相対化にはいくつかの見方が必要だからです)。
相対的な意味や価値、絶対的な意味や価値、これらは必ずしも優劣では語れないと私は思います。時と場合によって、つまりは条件によって優劣はある。しかし、条件に依存する以上、条件が変われば優劣も変わる。それこそ相対的ではありませんか。
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