「どうすればよいか?」という問いについて
「では、どうすればよいか?」とはじめから解決策を考え始める人が多くておどろく。
課題を解決したくて仕方ない気持ちは分かるが、気持ちが先走って盲目的になっていることに気づいていない。そもそも課題が何かを理解していない人間が、課題解決なんてできるはずがないではないか。
感情が答えを急ぐ
人間の感情は思考を阻害する。良い意味での動物らしさも悪い意味での動物らしさもここに集約される。瞬発的に結論を出そうとする。
良い場面ならそれでかまわない。「なぜ、今楽しんでいる自分がいるのか?」などと考え始めてしまったら楽しくなくなってしまう。感情の赴くままに身をまかせダンスを踊る。なぜ楽しかったのかを知りたければ、せいぜい後から振り返ればよい。
しかし、悪い場面ではそうもいかない。つらい今こそ、なぜつらいのかをじっくり考え始めたほうが効果的である。私たちは、世界有数の治安のよい国に住んでいる。自然災害、火事、犯罪などをのぞけばネガティブなものごとで瞬間的に判断すべきことはまずない。つまり、感情に身をまかせダンスを踊るような感覚で課題を乗り越える機会は滅多にないということだ。
それにも関わらず、日常で困ったとき、仕事で壁にぶつかったとき「どうすればよいか?」とアクションから考え始めるような問いを自分に投げかけていないだろうか。残念ながら、これは瞬間的に解決したがる感情の悪いクセだ。課題解決はダンスではない。
解決までの道のり
今、課題がある。今、解決策を思いつく。今、解決するだろうか。いや、しないだろう。そんなことで解決するのならそもそも課題ですらないものを課題認定しているだけだ。大袈裟というやつだ。
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