選択的幻
今年は本当に年末感が感じられない。「2020年が終わる」なんて実感がまったく湧かないのだ。
今日はクリスマスイブ。キリスト教に縁もゆかりもない人間とはいえ、小さい頃からこのイベントに参加してきた。貧しい実家の食卓が一時的に豪華になり、ホールケーキが用意され、枕元にはプレゼントが届いた。
サンタがお亡くなりになってからは、ひとつのパーティとしてクリスマスを楽しんできた。2019年は「福岡クリスマスマーケット2020」のCMのエキストラとして、彼女役の女性とホットワインで乾杯とかやってはしゃいでいた(2020年は予算カットでCMはお蔵入りになったらしい)。
そんなクリスマスも、今や「え?今日クリスマス?」というテンションである。
相変わらず、私は作務衣を着ている。
12月24日という幻
「年末感」とか「クリスマス感」とか、何なら「恋人感」とかはすべて幻である。
頭では分かっていたものの、あらためて「あらゆる概念は幻なんだな」と気づく。目の前の情景は実体のある幻なんだろう。
地球が太陽の周りをまわっていて「地球は今この辺りにいるよね」というのを動物的に、正確にキャッチできたならそれはそれでよいのだが、そんな人は滅多にいないだろう。
多くの人は、「12月24日だ」とか「クリスマスイブだ」と言葉によって与えられた意味でそれをとらえる。言葉によって、1年が365日であるとか、12月24日であるという情報を共有することができる。
ただ、閏年は366日。12月24日だからって、毎年微妙に位置がズレているんだということ。
そう考えると、日付なんてものは待ち合わせの待ち合わせによる待ち合わせのためだったり、何となく季節をキャッチするための道具にしかなっていない。
太陽のまわりを地球がまわるという本質に関連づけられた周辺の意味でとらえている。
クリスマスという幻
また、「12月24日とは、これこれこういう日である」という意味を共有することによって、私たちは12月24日を特別な日であると認識する。
考えたらすぐに分かることだが、日本人が楽しんでいるクリスマスはよく分からない。私なりに日本のクリスマスを定義すると「国民が消費オバケになる日」といったところだろうか。キリスト教圏の人たちからしたら驚きだろう。
おそらく、これは中国のミッキーマウスに似たところがある。「夢の国」が、ただの「地獄絵図」に成り下がっているという矛盾をはらみつつも何か結果としてミッキーマウスなのである。
クリスマスはクリスマスでも、世界にはそれぞれのクリスマスがある。本来の意味さえも見失い、個人的な意味でクリスマスを消費している。
本来、カップルがいちゃつくための日ではないはずだが、それはそれで自由だ。すべては幻なのだから。
全部、幻
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