私にとってそれは正しい
朝食は食べない。朝と夜は1時間ずつ半身浴をする。炭酸水を好んで飲む。あえて小さ過ぎて使いづらいスマホを使う。ファッションに気を取られたくないから、作務衣と坊主で過ごす。
私にとって、それは正しい。一方で、その一部、もしくは大部分は誰かにとって間違っている。
土日は何か特別なことをしたい。ブランドもののアイテムがほしい。iPhoneは最新がよい。永遠を約束したい。35年ローンを組んで家を買いたい。
誰かにとって、それは正しい。そして、そのすべては私にとって間違っている。
あらゆる物事に異なる評価を下すことで、私たちは互いにすれ違い続けている。わざわざ言語化しようとしまいと、それは「私にとって」でしかないのだ。
しかし、それを忘れてしまっている。いや、下手すると気づいてさえいない。「私にとってそれは正しい。ゆえに、あなたは間違っている」という謎のロジックを振りかざす人間が決して少なくない。これでは信頼関係などつくられるはずがない。
相手にとっての正しさをまず受ける、受け止める。「それを大切になさっているんですね」と、グローブにきちんと球をおさめる。そうして、初めて私の正しさを投げ返してみる。よくある話、言葉のキャッチボールである。
当たり前のことのように思うかもしれないが、これがなかなかできていない。実際には相手が投げた球を避けながら、自分の球を投げつけるような会話をしている人も少なくない。
私にとってそれは正しい。あなたにとってそれは間違っている。あなたにとってこれは正しい。でも、私にとって、これは間違っている。価値観レベルの会話というのは、そんなことの応酬だ。
実のところ、それをどんな気持ちでやるかの違いでしかない。 嫌悪感をぶつけ合うのか、互いに面白がるのか。やっていることは同じなのに、まるで違う体験だ。
互いに面白がりたいならば、私の正しさを相手に理解してもらう以前に、相手の正しさを私が理解しようとしなければならない。今から、私から始めるのだ。相手の正しさを、きちんとグローブに受け止めよう。
なお、そうする気が起きない相手には、沈黙するのが好ましい。戦争よりは遥かにマシというものだ。
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