清々しく生きてゆきたい
清々しく生きてゆけるかは、どれだけ手放せるかにかかっていると思うのです。手放しているかではなく、手放すことができるか。
たとえば、洋服を手放すことはできそうですか?洋服が好きか嫌いか、仕事上洋服が重要か。誰もそんなことは聞いていません。手放すことができるという認識が持てるかを問うているのです。
人は何かと理由をつけて、手放せないと思い込んでしまいがちです。
次はもっと重いことを尋ねます。
仕事、友人、家族。手放そうと思ったら、手放せますか?
こんなことを平気で問うのは誠にサイコパスらしい感じがしますが、別にふざけて聞いているわけではありません。ぜひこの機会に考えてみてほしいのです。
…手放せそうですか?
「何が何でも手放せない。というか、そんなことを訊かれて不愉快だ。」
日常生活の中でこういう質問をすると怒り出す人はよくいらっしゃいます。
「家族は絶対的に大切な存在に決まっている!」
「親友とはどんなことがあっても親友だ!」
手放すことを想像するだけで、良心の呵責に苛まれるのかもしれません。
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