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何か嫌な感じがする

利益でつながる関係は分かりやすい。「差し引きプラスですよね、組まない理由はないですよね」という関係性である。どのように得であるか、根拠を具体的に示すことができる。

それを提案されたときに「なんか嫌な感じがする」という歯切れの悪い態度をとる人間は案外多い。頭では分かるが、感覚的には分からないということなのだろう。

丁半ばくち的な意思決定

内から沸き起こる感覚的な何かも、算数が苦手な自分であったり、過度に恐れているだけかもしれないと自分を疑ってみたりと頭の中はカオスに支配される。「なんか嫌な感じ」としか言語化できないまま嘘か本当かも判断のつかない利益ゲームに参加したり、「なんか嫌な感じ」としか言語化できないままただ拒絶する。

一体これの何が問題かというと、次回もまた同じことを繰り返すことである。

「なんか嫌な感じ」という真っ暗闇へ、ジャンプするか、立ち止まるか、それとも引き返すか。根拠なき丁半ばくちを延々と繰り返すハメになるのだ。

利益至上主義無双

これだけシステムに包囲されている現代社会においては、システムを元に言語化し、なぜ得なのか、なぜ損なのか、そしてなぜ利益が出るのかを理解し説明できる人間が圧倒的に有利である。

「感覚的に…」という説明は、弱者救済の文脈における弱者の発言以外では説明とみなされない。発言権はあっても、発言とみなされないのだ(もし発言と見なされているのであれば、それは弱者認定されている可能性が高い)。

この社会は、利益を計算できる人間の無双状態なのである。

無限の変数

本来は収益から費用を引いた残りを利益と呼ぶが、ここでは「利益」をもっと広義にとらえたい。「得から損を引いた残り」という意味合いである。必ずしもそれは数値で表せないし、誰かとの共通了解がえられるものでもない個人的な価値観に基づくものだ。

たとえば、「明日、自転車で行くつもりなの?行き先一緒だから車で送るよ」というような誘いも、広義の利益の観点から考えることができる。

自転車で行けば30分、車で行けば10分。体力的にも疲れない。もし雨が降っても濡れない。車のほうが明らかに利益があるように見える。

しかし、数値化できない要素だってある。相手のことが嫌いなのかもしれないし、極端に車酔いする体質かもしれないし、むしろサイクリングを楽しみたいと思っているかもしれない。

こうして考えてみると、考えることができるのは事実だが、無限に存在する変数によってやはりただのカオスになる。計算不能。

「なんか嫌な感じがする」という結論が導き出される。

システムの中と外

利益至上主義者からは「何を迷っているのかが分からない。車で送るって言ってるんだから、乗ればいいじゃない。」ということになる。彼らは数字でカウントできるものや観察可能で検証可能なものしか信じない。30分が10分で済む、体力を消耗しない、雨に濡れない、十分利益に値するじゃないか

確かにそれで十分な場面は多い。これだけ社会システムが張り巡らされているのだから、イレギュラーの総量は少ないように見える。計算可能な範囲で、差し引きプラスの行動を取り続ければよい。

しかし、その数字が意味をなすのはシステムの中だけである。私たちの感情や感覚や思想は、システムの中の理屈では語れないことが多い。どうしても自転車を選びたいときだってある。

では、「なんか嫌な感じがする」という動物的カンに頼って生きていけばよいのか。そうではないだろう。やはり、それは丁半ばくち以外の何ものでもない。

限定された変数

私が勧めたいのは、よりどころとなる自分の思想を言語化することである。自分の中にある深いレベルの価値観と言いかえてもよい。それが言語化されれば、価値判断の基準となるいくつかの軸も言語化されうるだろう。

・爽快感
・自立
・楽しい

という、一見何の脈絡もないようなキーワードが見つかったとする。それでもよい。

これだけでも無限の変数から解き放たれる。「爽快感」と「自立」と「楽しい」を基準に考えたときに、10分の車よりも30分の自転車を選ぶだけの十分な判断基準になりうるのだ。少なくとも「なんか嫌な感じがする」というような漠然とした感覚を垂れ流すことはないだろう。

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