二兎を追う者、世界の温度差に臨場感が持てず
今、世界を震撼させている例の件で、各国の対応が大きく分かれています。単純に一つの問題ではないため、難しい決断を迫られていますね。
それぞれの状況に合わせた対応が必要なのは当然のことです。対応策が異なること自体に私は何も思いません。
どんな対応が「正解」だったかは、歴史が証明することです。つまりは結果論であり、今それを正しく評価することはできないでしょう。
そんなことよりも、私が気になっているのは、各国の温度差です。
ニューヨークにいる友人と、頻繁に連絡を取り合い、アメリカの状況と日本の状況をリアルタイムで情報交換していると、まるで別の世界にいるかのような温度差を感じます。
比較的、早い段階で「当事者」になったはずの日本に、どこか当事者意識に欠ける曖昧さが見受けられます。裏で、相当テンパってるのかもしれませんが。
「別のいくつかの大きな決断を迫られているから、複雑に絡まった中で、糸をほどくための時間を何とか稼いでいるんだ」
私には、そんなふうに見えます。
糸をほどいて、オールOKという状態を目指したい気持ちは分かりますが、その結果、何を失っているのか。
決断が遅れるということは、それだけ機会を損失しているということ。「時間」を失うことによって何の機会を損失しているかは、今回よく考えなければなりません。
非常時に大切なことは、決断力だと思います。
「何もしない」ことだって立派な決断です。しかし、曖昧な態度で「何もできていない」のは決断ではありません。
決断が正しかったかどうかを歴史が証明するとしたときに、決断できなかったことがマイナス評価になることはあっても、プラス評価になることはまずないでしょう。プラスの場合、「ラッキーだったね」としか言えないからです。
彼らががんばっていることは百も承知ですが、がんばっているだけで世界がよくなれば、とっくに世界は平和になっています。そうでない以上、勇気を持った決断をしてほしいものです。
すべてを得ようとして、すべてがダメにならなければいいなと思います。
お上がやるべきことはたくさんありますが、個人もまた決断を迫られています。
個人でできることは限られているとはいえ、何らかの準備をしておく必要があります。誰かのせいにして、自分の人生を台無しにするのもまた当事者意識に欠けていると言えるでしょう。
パニックにならないかもしれませんが、パニックになる可能性も十分にある。本当にこわいのは、いつだって人間です。
「具体性がないじゃないか」と言われそうですが、トイレットペーパーの二の舞は避けたいですよね。準備は人それぞれです。できる準備は、今のうちに。
「世界は温度差でできている」
追伸
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