非日常×夢中の観測者
ギチの完全人間ランドというPodcastで「ディズニーランドはこわい」という話があった(6:00〜)。
ディズニーランドの「夢の国でみんなが偶像を崇拝してニコニコしている感じ」がこわい。樋口さんはそれを「日常から切り離されている感じ」と表現し、青柳さん「夢中になっている感じ、目がイってる感じがこわい」と表現した。併せて、寂れた遊園地は本当に夢の国や知らない町の小さな漁村も、こわいということだった。
こういう感覚は、よく分かる気がする。私自身は、昨年の11月に佐賀の祐徳神社でチャネっている人とその信者一家を初めて目の当たりにしたときは、こわかった。
「結界」とか「波動」といったワードが当たり前のように行き交い、信者は歓喜して涙を流す。これから崖のような山をよじ登って、先祖の霊を探しに行くのだとか。
日常から切り離されたこの状況下において、夢中になって目がイっちゃってる感じは、私の目線では「あんた騙されているよ」ということになるのだが、夢中になっている本人たちにとっては、確かにその世界が存在するわけで。
第三者は、あまりにも分かり合えそうにないそれを、こわいと感じるのだろう。ただ、その「こわさ」は必ずしも恐怖というネガティブな文脈だけではない、面白さ、興味深さも内包している。ある種のディズニーランドをそこに感じた。物理的な設備や偶像が整っていない分、余計に非日常感が強かったのは確かだが。
これはわかりやすくこわい例だろう。もう他者に少し理解されそうにない例を考えてみる。
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