自分とは何か?経験と思考と体調の交差点
「自分」とは何なのか?最近、それがクリアになってきた気がします。
絶対的な自分なんてものはない。
「自分とは、経験と思考と体調の交差点である」というのが現在の私の見解です。
文章力の問題を差し引いても、分かりづらい話であることは間違いありません。
揺るがない自分は見せかけ
まず、私は揺るがない自分(自己や自我)という存在に対して否定的です。
揺るがない自分は、自分が揺れないようなバランスを「経験と思考と体調」によって器用に保っているだけで、そもそもは揺れるものだと思うからです。
雪だるまを想像してください。雪でできた形ある人型の物体。
ご存知のとおり、あれは元々ただの雪ですよね。雪だるまが空から降ってきたわけではないし、雪だるまが発生したわけでもない。人が作り出すものです。
雪だるまという形が完成すると、確かに「ある」ような気がしてしまいます。でも、そのうち溶けてなくなりますよね。本当に「ある」んでしょうか。
経験と思考と体調の交差点
「自分」は、雪だるまにそっくりです。
経験と思考と体調の交差点で、一時的に雪だるまのように形をなしているだけです。
雪だるまを例に説明します。
雪を足すこと(減らすこと)が経験。雪をどう足すか(減らすか)や足した(減らした)雪がどうなのかを考えるのが思考。天気や気温が体調。
経験と思考と体調のバランスがくずれると、溶けて消えてなくなります。
まったく同じ状態のまま、変わらず存在し続けることなどありません。常に変わり続けています。
雪だるまの場合は、作る、見る、ほったらかすという工程がはっきり分かれているため、比較的変化を感じやすいものです。
ただ、人間の場合は、経験や思考や体調の変化を永続的に重ねていくため、今この瞬間をよほど意識しないかぎり、なかなか気づくことができません。
ガチガチに管理された雪だるま
揺るがない自分というのは、実に不自然です。
雪だるまでいえば、完成し、その状態を維持し、ずっとくずさないということです。
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