意味がないから良い
世の中には、便利なツールがたくさんありますよね。
メール1つとってみてもそう。かつて、片道1週間かけて届けていた手紙が、今では送信ボタンを押せば1秒で届く時代です。
あきらかに便利ですよね。川に洗濯に行くこともなくなりました。ありがとうございます。
とはいえ、何だか今のほうが忙しい気がするのは気のせいでしょうか?
早く届く分、自動化された分、物事が早く進むようになったのならまだしも、その分やることが増えています。
結果として、タスクの山に襲われるという始末です。多分、現代人はムダなこと(やらなくてもいいこと)を相当やっているんでしょう。
便利な(合理的な)ツールも、目的に照らして、それ以外を削ぎ落として使用しなければ、かえって非合理的なんだと思います。
テクノロジーの進化は早いけれど、人間の進化はそうもいきません。一向に合理的になれないままなんですね。
私の高校時代は、1人1台携帯電話を持ち始めた頃でした。あの頃は、ワン切りといって、一瞬だけ発信して不在着信を残す遊びが流行ったりしました。意味不明です。それに、ひたすらメールをしていました、大した用もなく。
今の若者は、さすがにワン切りなんかはしないでしょうが、SNSで似たようなコミュニケーションをとっていたりするものです。
人間の本性は非合理的で、コミュニケーションにはそれが如実に現れていると思います。
社会の仕組みは、コンピュータのようによく組み立てられています。
これだけ便利な合理的な社会にも関わらず、インフラやツールを活用して非合理的なことをやりたがる生き物、それが人間なのかもしれません。
今までは、それを割と合理的に頑張れる人々が支えてきました。しかし、今やコンピュータ的な合理性は根こそぎAIに置き換わろうとしています。
非合理的で、ムダばかりに見える「意味」のないコミュニケーション。意味なんてないからこそ価値があるような時代になってくるよなとふと思った月曜日でした。
こんにちは、うえみずゆうきです。もし気に入っていただけたら、応援していただけると嬉しいです。更新のモチベーションになります。