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コンテンツ化で歪む質

日記を書いているとします。紙のノートに毎日書き綴っている。

「いや、これブログに書いたらよくない?」というアイデアが、ふと頭をよぎります。

まず、ここで2つの分かれ道。

①「どうせ人に見せるのなら」と肩の力が入る。②紙のノートに書いていたような、ありのままを目指す。

①を選んだ人は、外の世界とつながることの意味にいきなりぶつかってしまいます。自分のためだけの日記が、いつのまにか他人のための日記になり、しかもアクセス数もお金も稼げるわけでもなく、どうして日記を書いていたのか分からなくなり、だんだん日記が書きたくなくなってしまいます

②を選んだ人もまた、大して変わりません。「初心」をどこまで鮮明に頭に思い浮かべておけるかがすべてです。「紙のノートのまま」という初心が少しでも薄れたら、すぐに①と同じ問題に打ち当たります。

人間は、自分が思っている以上に、環境に影響を受けます。

たとえば、自分の家の玄関のドアを常時開けっぱなしで生活するのはどうでしょう。家の内と外が隔てられていないときと、隔てられているとき、気持ちはまったく同じでしょうか。おそらく違うと思います。

その上で、あなたがどこに暮らしているかによっても感じ方は変わります。人通りの多い表通りの1階なのか、薄暗い路地裏のアパート1階なのか、高層マンションの72階なのか、それぞれ感じ方は異なると思います。

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