小さなことでクヨクヨするのはなぜなのか
20代を終えるあたり、大きなことでは悩まない癖がつきました。
大きなことは、悩むより考える。何が原因なのか、解決するためにどうすればよいのか。
そんな風に考えていくだけで、問題に振り回される存在ではなくて、問題に立ち向かう存在になれます。
受動から能動へ。そうすることで、大きな悩みは、悩みではなくなりました。
大変であることには変わりないのですが、スタンスが変わるだけで精神的にはまったく違います。エネルギーが湧いている感じ。
実際には、考えに考えて決めたことが、実を結ばないことも多々あります。
でも、当時の自分にできるベストな回答だったのは確かですよね。自然と結果も受け止められます。
つまり、後悔の言葉なんて出てきません。
本当の問題は、小さなことのほうです。
「あっちの店だったら豆乳が70円ぐらい安いけど、今この店で買うかどうか」とか。
「コンビニに来てみたものの、お腹が空いていない気がする。でも、この後の予定を考えると少し食べたほうがいいかもな。うーん、何か買おうか買うまいか」とか。
そんなことほど、いちいち後悔しがちです。
「ビールじゃなくて焼酎にしとけばよかった」とか。
「折り畳み傘じゃなくて、普通の傘を持ってくればよかった」とか。
ものすごく後悔します。
「どうして、あのときの自分はあのような決定をしてしまったのか!」と自分を責めてしまいます。
小さなことは、どうして人をこんなにもクヨクヨさせるのでしょうか。
理由は、2つあると思います。
1つは、どっちでもいい(どうでもいい)から。
もう1つは、考え抜いていないから。
大きなことと比べれば一目瞭然です。
大きなことはどっちでもよくないし、考え抜きます。結果、その時の自分にできる最善の決定をするでしょう。
小さなことは、テキトーそのもの。「何となく」な意思決定なんですね。
よくよく考えると、そこまでお腹が空いていないのに、パスタを食べに行っています。
体重のことがふと頭をよぎり、「サラダだけにしとけばよかった…」と後悔するのは目に見えている。
小さなことほど、あなどれないのです。
では、小さなことでクヨクヨしないためにはどうすればよいのでしょうか。
分かりやすいのは、次の2つです。
1つは、すべてを大きなこととしてとらえる。1つ1つの決定に責任を持つこと。
もう1つは、どっちでもいいことは「しない」とあらかじめ決めておくこと。
どちらもハードルが異常に高いですね。
私たちは上記のどちらかを選ぶか、クヨクヨし続けるかの3択を迫られているのかもしれません。
おそらく、クヨクヨし続けることを選んでしまう人が多いと思うのですが、一体どうしてなんでしょうか。
小さなことでクヨクヨし続けることなんて、小さなことだと思っているからなんですね。
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