「あの人、大変だからね」というレッテル
私は友人からの誘いを「ごめん、仕事が忙しくて」と断る確率が80%超です。
そして、さらにそのうちの80%は、仕事が忙しいのではなく、わざわざ時間をつくりたくないな(気乗りしないな)という理由だったりします。つまり、嘘をついています。
嘘はよくないとは思いつつ、「あなたとの会話は大して刺激もないし、わざわざ時間をつくりたくはないな」などと言語化したら大変なことになるのは目に見えています。
別に傷つけたいわけじゃない。その人のことは好きだけど、会話は楽しくないなんてことはザラにあるものです。
優しい嘘ということにしておいてもらえると嬉しいです。
そんなこんなで、誘いを断っていると「あの人、大変だからね」というイメージが定着します。するとどうなるか。
誘われなくなります。
断り始めて約5年。ほとんど誰からも誘われなくなりました。好かれているか嫌われているか、接点が減ったのでどのみちよく分かりません。
私の場合、自ら望んで「ぼっち」を確立しました。
孤独を愛する人には「断りまくる」というのはおすすめしたいテクニックの一つですね。
ただ、意図せず「あの人、大変だからね」というレッテルを貼られてしまうパターンも、世の中にはたくさんあるなぁと思うわけです。
たとえば、キャパ超えすると、仕事や家事や趣味や人との関わりなど全般的にさばけなくなります。
キャパの大きさや、さばく処理速度によって、キャパ超えを防いでいるわけですが、何らかの理由でキャパを超えることがある。
キャパ超えしている人と接すると、人はどう思うか。
「あの人、今大変だからね」
一時的なキャパ超えは概ね心配してもらえます。
ところが、慢性的にキャパ超えをしてくるとまずい。
「あの人、今もなお大変だからね」
「あの人、いつも大変そうだね」
そんな感じで、だんだん「大変」の前についてくる言葉が変わってきます。
そして、最終形態として、
「あの人、大変だからね」
になる。
普遍的に大変というイメージ。もはや、大変さんになってしまうのです。
他者は、精一杯気を利かせて、その人に関わらないようにします。「大変そうだから声かけづらいし…」ということになるのです。
意図せず、こうなってしまうのは結構つらいと思います。というか、本人は大変なんだから、リアルタイムではそれどころじゃないかもしれない。
でも、何かの拍子にキャパ超えがおさまったとき、「あれ、何か色々失ってるな」と気づくのです。
浦島太郎状態とも言えるかもしれません。
とはいえ、やはり周りの人はとやかく言いづらい。
「キャパ超えしてるみたいだから、捨てたほうがいいよ」というのは、捨てたくない人にとってはただのおせっかいです。
やはり、気づきに関しては自分で起こすしかありません。自分でキャパ内におさめる工夫をするしかない。
特に、現代は仕事や家庭や趣味や人間関係や学びや休息など、上手にやりくりしていかなければなりません。かなり複雑化しているのです。
自分と向き合うことがこれだけ重要視されている時代は、未だかつてなかったでしょう。
意図せず、「あの人、大変だからね」というレッテルを貼られないように気をつけたいものですね。
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