Who am I ? 状態の存在
生きるというのは、「細かい点」の積み重ねだなと思うんです。「細かい」というのがポイントで、前の点と次の点の距離が基本的に近い。その近さゆえに、自分を同一の自分と認識できるのだと思います。
生活にどこまで自覚的かはさておき、少なくとも1日の中でいくつかの場面ぐらいは覚えているはずです。
朝起きたときの気分、通勤電車の様子、取引先からのメールの内容、上司からの指示に対して思ったこと、帰り道の気温差に震えたこと、晩御飯、寝る前に観た海外ドラマ。これらを点と考えます。
横軸は時間、縦軸は気分のアップダウンとしましょうか。最高にいい気分を+50、最悪の気分を-50とする。出来事の点と点をつないで線にし、心電図みたいな、株価みたいなグラフをつくってみます。
1日の中で、気分がギザギザしている人、落差が激しい人は、それだけ刺激が強い生活を送っているのだと思います。好き嫌いの問題なので、自分に合った生活をすればよいでしょう。
私の場合、直線とまでは言わずとも、かなりゆるやかです。上も下もそんなに差がない。そのかわり、ベースが+35ぐらいで、基本的にご機嫌。気分のムラも少ないです。
そんな私が、先週末、食あたりでダウンしました。+35からの-50。
落差、-85ポイントの衝撃。
この落差で、おかしな現象が起こりました。
やりたいことが、やりたくないことになった。食べたいものが、食べたくないものになった。大切なものが、大切じゃなくなった。
「自分が自分じゃなくなっている」という感覚。もっと言うと、「我」なんてまやかし。ブッダの言う「無我」に納得!という感覚ですね。
「今こそ、仏教を学ぼう!」と、吐きながらkindleで本をダウンロードするも、体調が悪すぎて活字が読めない。
読書好きのはずの自分が、本を読めない。自分が自分じゃなくなっている。自分なんて、まやかし。無限ループ。
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