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意味の世界で

モノからコトへ移り、さらには、価値から意味の世界へシフトしています。

モノは、その質量による存在感から何となく価値を感じやすい。背景には、価値を裏付けようとする意味があるのですが、認識の解像度が低い人にとっては、まるで「価値だけ」がそこにあるような気がしてしまいます。

でも、モノが溢れてしまった。モノ溢れが自覚され始めると、意味不在の価値は信用できなくなった。それを全部、モノのせいにして「モノからコトへ」と叫ばれるようになりました。

モノからコト(体験)へとシフトすることで、モノで訴求できなくなった商売人が、コトを売ろうと必死になっているだけと言ってしまえばそれまでのことです。

消費とは、生きる上で最低限必要なものを除けば「解釈」でしかないのです。

購入したモノやコトを解釈の対象として、解釈のきっかけを得ているだけ。

解釈とは、意味づけのこと。つまり、モノだろうがコトだろうが、対象に意味づけすることで価値が生まれる、というプロセスを踏むのです。

たとえば、海外旅行=価値と思い込んでいる人もいらっしゃるかもしれません。けれど、海外旅行(コト)自体に価値があるわけではありません。

たとえば、2020年4月現在、イギリス旅行に行くとしましょう。それをどのような意味として捉えますか?そこから生まれるのはどのような価値ですか?

少なくとも、平時のイギリス旅行とはまったく異なるはずです。

屁理屈と思われるかもしれませんが、意味の世界とはこういうことです。

どのような意味づけをするかで、イギリス旅行の価値は変わってしまいます。同じように、すべてのモノやコトが、意味づけ次第で価値が変わる

ミネラルウォーターを一杯飲む。たとえば、そこが砂漠的なシチュエーションだとしたら最高に有り難い一杯ですよね。ミネラルウォーターは意味によって、価値が変わってしまうのです。

意味や価値をサービス提供者が一方的に決め、ストーリーだのなんだのと消費を煽る世界から、消費者が主体的に意味づけを行なう世界へ今まさに移り変わっているのです。

「どんな意味があるんですか?」は答え合わせではなく、それさえもあなたにとっての意味づけのきっかけでしかありません。

価値は、自分で意味づけするからこそ生まれるんですね。他者から与えられた意味から解放された世界が本格的に始まりました。

この意味が分かる人と、意味がわからない人。認識の二極化が、世界をますます分断させることでしょう。


追伸

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