専門家と解像度、とコミュニケーション
「専門家」という言葉を辞書で引いてみると以下のように書いてある。
専門家:ある技芸や学問などの専門的方面で、高度の知識、またすぐれた技能を備えた人。(出典:大辞林)
特定の分野でハイレベルな知識ないしは技能を持った人のことを言うらしい。まあ、イメージ通りといったところか。
「知識がある」「技能がある」だけでは専門家としては物足りないなと私は思っている。
専門家は、知識があるからその分野の解像度が高い。技能があるから、その分野の解像度が高い。当たり前である。ところが、自身の解像度の高さに自覚的でない専門家というのが一定数いるようだ。
たとえば、専門外の人に分かりやすく伝えることのできない専門家(ほとんどの専門家)がいる。彼らは高度な知識や技能を備えているのだろうが、自らの解像度に自覚的でない。もしくは、解像度が高ければ高いほどよいと思っているフシがある。
考えてみてほしい。ショボいPCで情報量の多いファイルを開かせるとどうなるか。なかなか開かない。最悪の場合、フリーズしてしまうだろう。処理性能をきちんと考慮しなければならない。
人間のコミュニケーションもまた同じである。相手が情報処理可能な解像度で伝えなければ何も伝わらない。フリーズしてしまう。20MBの画像より、580KBの画像が好ましいことだってあるだろう。それは相手だけでなはく、用途(場面)の問題でもある。
専門家と呼ばれる人たちは、自身の専門分野に対する解像度の高さに自覚的であるべきだと思う。そして、他者とその分野についてコミュニケーションするときは、相手の解像度に合わせたデータサイズに処理すべきである。
580KBを1GBにすることはできないが、1GBを圧縮することはできる。580KBはさすがに無理でも、がんばって300MBぐらいまでは圧縮してくれないものか。「1GBの画像です。」とドヤっても、そんな画像はほとんど誰も開きたくない。論文や学会など、1GB同士のコミュニケーションでやってもらう分には構わないが、素人相手に1GBのデータを送りつけるような連中が多い。
自身の認識に対する認識の解像度が低いと言わざるをえない。相手をよく見て、コミュニケーションせよ。
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