ブレる、定まる、凝り固まる
人はブレブレなところから始まり、だんだん凝り固まっていく。
まだ態度や考えが定まらない若い頃は、ジェットコースターのように揺れる。
揺れるからこそ受け取れる美もある。恋にも落ちる。泣く、笑う、疲れる。
経験とともに
経験を重ねるうちにブレは自然と小さくなる。
たとえば、稲妻に打たれたような恋には落ちにくくなる。定まってくる。一定の年齢を重ねても、一目惚れしまくっているような人のそれは、おそらく恋ではなくただの性欲である。
食欲、睡眠欲、性欲と人間の三大欲求として並べられる性欲を否定する気は毛頭ないが、恋というほどロマンチックなものではないだろう。
成熟してくると態度や考えがある程度定まってくる。
自分にとってラク(自然)
限られた行動パターンにだんだん収まっていくことで、態度や考えが定まる。逆もしかりで、態度や考えが定まってくる中で行動パターンが限られる。この両輪を回しながら、私たちのブレはだんだん小さくなる。
「いつまでも新しいことにチャレンジしているエネルギッシュな人もいるではないか」と言いたくなるかもしれない。しかし、年齢を重ねても新しいことにチャレンジし続ける人でさえも、「新しいことにチャレンジし続ける」という基本態度が定まっている。
基本態度の習得を「自分らしさの発見」のような捉え方もできる。もう少し具体的に言うと「自分にとって1番ラク(自然)な態度の発見」なのかもしれない。
定まり方によって
定まった態度や考えが、未来や次世代の可能性を摘むとき「老害」と呼ばれてしまうだろう。
定まった態度や考えが上位下達の受動的イエスマンであれば、「思考停止」と意識高い系からバカにされる。
また、どんなときにも笑顔で楽しもうとする態度を貫く人は、「いつまでも若い人ね」と言われたりする。
定まり方一つで、天使にも悪魔にも見える。定まることそのものより、定まっていく方向性が重要なのである。
凝り固まる
定まった態度や考えが行き過ぎると、凝り固まる。
たとえば、「老害」と呼ばれる人たちは、定まり方と凝り固まり具合の二冠を達成している。多くの場合、定まることと凝り固まることは同時に起こる。
凝り固まると変化に適応できない。自分に不都合な変化が起こってしまうと単純に死ぬ。だから、変化を阻止しようとするのだ。生存本能である。
世界は刻一刻と変化し続けている。今、VUCAなどというバズワードが飛び出すぐらいにダイナミックな変化に晒されている。
残念ながら、変化に適応する者しか健全な状態では生き残れない。凝り固まっているのは、概ね若者より年配者である。だとすると、時代は「年配者は滅んで然るべき」と言っているようなものだ。
それではちょっとあんまりなので、定まることと凝り固まることを分けて考えることを勧めたい。
定まることは方向性の話、凝り固まることは変化に対する許容度の話として考えると、それらが別ものであることが分かる。
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