テンションが上がる目標:数字より習慣をつくろう
2019年も今日で最後(まったく年末感がない)。今日は、あちこちで断片的に述べ散らかしたままの「2020年の目標」について書いていきたいと思います。
数値目標はテンションが下がる
毎年、年末に次の1年の目標を立てるのですが、数字の目標はテンションが下がるということをついに学びました。
2019年の生活部門の目標に「体重を75.0kgにする」というのがありました。最初は順調でも、途中からだんだんめんどくさくなっていきます。一向に目標達成される気配がなく、日々ストレスを感じていました。
目標がイヤなもの、つらいものになってしまっては、本末転倒。無意識的に達成しない方向に働いてしまいそうだなと思いました。
いいかげん減量をあきらめた12月。食あたりによって、マイナス5kg。奇しくも目標達成してしまったのでした。
数字の目標なんて、手段を問わなければ達成できてしまう。結果にフォーカスするなら、それは正しいけれど、食あたりで減量したって不健全ですよね。
生きていくプロセス
体重が減ったこと自体は単純によかったけれど、減量を達成したことが喜びや成功体験になっていません。
理由は簡単に分かります。
生きるって結果じゃなくて、生きていくプロセスだから。
ねじ曲がってしまった資本主義社会に毒されると、「結果がすべて」に感じてしまいがちですが、結果0点でも道中ハラハラドキドキ楽しめたならそれでいいじゃないですか。
「何者かになりたい諸君、それはただの勘違いだ!」
拡声器を持って駅で演説したいぐらい、人生を結果でとらえることに反対したいです。
たとえば、会社経営などは、社会の「システム」である以上、数字もしっかり押さえるべきだと思います。
ただ、個人の人生はシステムではありません。システムの利用者として、家計など最低限管理したほうがよい数字はあるとはいえ、せいぜいその程度です。
それにも関わらず、自らテンション高めの数値目標を打ち立て、テンションを下げてしまっています。
習慣づくりのすゝめ
生きていくプロセスに習慣を取り入れていくこと、習慣づくりの目標こそが個人における最高の目標設定なのではないかと私は思います。
たとえば、「日記を毎日書く」とか。シンプルですね。これのよいところは、書きそびれた日があっても、明日からすぐにやり直せることです。
もし、「日記ブログを書いて月間30,000pv達成する」という目標だったとしたら、せっかく書いても全然数字が伸びない間にテンションが下がってしまい、書きたくなくなるでしょう。
ここで重要なのは、プロセスは自己評価、結果は他者評価であるということです。
日記を書くか書かないか、何をもって書いたと言えるかは自分で完結できます。けれど、月間30,000pvは、他者が読んでくれるかどうかに依存します。
結果を追い求めるということは、自分の目標に他者を巻き込む行為なのです。
社会的なこと(システムのこと)なら分かりますが、個人的なことで他者を巻き込むような目標を立てても、めんどくさいだけです。自分の気持ちがめんどくさいか、他者から存在をめんどくさがられるかの違いはありますが。
結果から逆算して習慣に落とし込む
「毎日、日記を書けたところでどうなるの?」と結果至上主義の方は思うかもしれません。
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