村社会パワーを考える
「人間関係はよくないし、責任は大きいし、給料は安いし…なぜ自分が今の仕事を続けているのか分からない」
ある友人は、別の友人に相談しました。相談を受けた友人は、これに「辞めればいいと思うよ」とアドバイスしたそうです。
合理的に考えたら、まったくその通り。
しかし、合理性だけでまわっていかないのが日本の世間、村社会パワーです。何なら合理性は関係ないと言ってもよいぐらい、世間の目は湿気を帯びています。
これは別に、いいことでも悪いことでもありません。湿気を必要とする生物がいるように、人間もまた湿気を好む人と好まない人がいます。
世間をざっくり定義しておくと、ここでは「顔が見える(想像できる)関係」としておきます。
世間の湿気を帯びた目線は、強固な村社会を形成します。見えない境界線がある。それが自分を守ってくれるバリアになることもあるし、どこにも行けない足かせになることもあります。
メリット・デメリットがある以上、好き嫌いとか向き不向きの話なんですね。
冒頭の「仕事を辞めたい」という相談に戻ります。
「人間関係がよくない」「給料が低い」「給料に見合わない責任が与えられている」さらには「出世したいとか実力をつけたいという気持ちはない」など、出てきた不満を並べてみただけでは、続ける理由が到底見当たりません。
今より給料が良くて、責任も軽くて、人間関係がマシな職場は、簡単に見つかるかもしれないからです。合理的に考えれば、「辞めたほうがいいよね」の一言に尽きる。
しかし、日本には世間が放つ村社会パワーがあるため、世間とどのような関係を結ぶのか(結ばないのか)まで決めないと、続けるなり辞めるなりの決断ができないのです。仕事ではない、その周辺のことに1番気を使わなくてはならないということなんですね。
世間に反するということは、意図せずとも世間を敵に回すのと同義です。それが嫌なら、世間に直接反さない形で、波風を立てずに上手にフェードアウトする手続きが求められます。
職場という意味でいうと、組織が大きくなればなるほど、組織内に世間は乱立しているし、一人の価値も相対的に低いので、自分の心さえ決まれば辞めてしまうことは意外に簡単です。一歩踏み出す力が大事、以上。
逆に、組織が小さくなればなるほど、世間は単一化するし、一人の価値も相対的に高いため、辞めづらくなります。世間の力がよくも悪くも最大化されるということです。いつ辞めようと「変なタイミング」にならざるを得ません。
冒頭の相談者は、社長と密にコミュニケーションを取り合うような小さな組織で働いています。つまり、合理的な条件以外にも検討すべきことがあるということ。実は、世間的な要素で迷っていたのです。
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