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#コラム
頼まれごとが嫌いなワケ
昔から、頼まれごとが嫌いだ。まるで、やる気が起きない。他者のためにエネルギーを費やしたくない薄情なやつだと、これまで自分のことを思ってきた。
しかし、どうやらそれは違うようだ。
エネルギーが出るか私は、どのように意思決定しているのか。そもそも、利己か利他かみたいな区切りで物事をとらえていないところがある。「これは私のためか?」とか「これは相手のためか?」などとは考えない。
エネルギーが出るか
内面化したピラミッド
私には、社会の構造や人々の価値観がピラミッド状に見えている。それは唯一無二の固定的な建造物としてではない。一人ひとりが内面化させている価値基準のピラミッド、認識のピラミッドである。
一般的に、世代、年収、業界、業態、業種、地域、家族構成、ライフスタイル、趣味、カルチャーなどの影響を受けてつくられる。
高き者、低き者、危険因子インターネット社会以前と以降でピラミッド事情は大きく変わった。インター
相対主義者の血が騒いだ
「人はなぜ働くのか」について対話した。
対話の中で「みんなを幸せにするため」という意見が出てきたため、興味津々で突っ込んだ質問を投げかけた。耳を傾けてみたところ、(みなさんもある程度は想像がつくように)いくつもの論理破綻を起こしていた。
説明しても説明しても論理破綻している事実を理解してもらえない。もはや信仰の域に達しており、自分が信じた意見を曲げようとしない。しまいには「働くとは、何をどうや
私にとってそれは正しい
朝食は食べない。朝と夜は1時間ずつ半身浴をする。炭酸水を好んで飲む。あえて小さ過ぎて使いづらいスマホを使う。ファッションに気を取られたくないから、作務衣と坊主で過ごす。
私にとって、それは正しい。一方で、その一部、もしくは大部分は誰かにとって間違っている。
土日は何か特別なことをしたい。ブランドもののアイテムがほしい。iPhoneは最新がよい。永遠を約束したい。35年ローンを組んで家を買いたい
中学生のノリで哲学者になりたい
中学生の頃「ミュージシャンになりたいな」と思ったのと同じような感覚で「哲学者になりたいな」と思っている。どうやら私は、金にならないことばかりを好む傾向にあるようだ。
類似点哲学者になることとミュージシャンになることは、いくつかの点で似ている。
①今日から名乗れるということ
②本物と偽物がはっきり分かれること。
③本物はごく僅かであること。
④99.999%の人は儲からないこと。
⑤レジェンドは
オフラインプラットフォームのすゝめ
晴れた日は、ピクニックワークと称して、福岡は天神中央公園の芝生にブルーシートを敷いて仕事をしている。一応、福岡市に税金を納めている身として、この公園を使い倒すだけの権利が私にもあるだろう。そんな権利意識からも、堂々と寝転ぶことができているのだ。忘れかけていたゆるやかな時間がそこには流れている。
さて、そんな様子をSNSに投稿していたところ、友人が公園へやってきた。ワンカップとレモンサワーを持参し
非日常×夢中の観測者
ギチの完全人間ランドというPodcastで「ディズニーランドはこわい」という話があった(6:00〜)。
ディズニーランドの「夢の国でみんなが偶像を崇拝してニコニコしている感じ」がこわい。樋口さんはそれを「日常から切り離されている感じ」と表現し、青柳さん「夢中になっている感じ、目がイってる感じがこわい」と表現した。併せて、寂れた遊園地は本当に夢の国や知らない町の小さな漁村も、こわいということだった
意見がないということ
霊魂について対話した。単純化するならば、いわゆる「死後どうなるか」というような話だ。話していて、頭が真っ白になる。そんな感覚を久しぶりに覚えた。
私は、死後の世界について意見がない。「保留」という態度を取る。
みんなの意見は興味深い。死んだ瞬間に無になるとか、何かに生まれ変わるとか、真っ暗闇になるとか、魂が浮遊しているとか、光に包まれて世界と1つになるとか…。それらの発言を受けて、映像では何と