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#生きる
清々しく生きてゆきたいのです。
サイコパスのラジオ<シーズン1>(2020.6.4 配信分)
【脳内議事録】
https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5
認識の解像度を上げるための思索の旅の記録です。エッセイ、トーク、音楽などさまざまなかたちで頭の中を晒します。サイコパスのラジオ、前シーズン以前のエピソード(Podcast上にないエピソード)はすべてこの
虚無を17回転させた後の残りカス
思うに、私は死が怖くない。なぜ死が怖くないのか。死んだ後のことなんて分かりようがないからだ。
「10年後の今日、あなたはどのように過ごしていますか?そして、どんな気分ですか?」
そんなことを問われたところで、妄想や願望以外に何も語れはしない。生でさえこの調子なのに、死後に関しては誰も生きて経験をしたことがないわけだから、死後を想定するのはただの妄想、願望である。あるかないか、あるとは何か、ない
「なぜ」を嫌がる大人たち
「なぜ」を重ねていくうちに、必然的に答えに詰まる。言葉では説明不可能な領域に突入する。胸につかえる何かがあったり、もしくは何もないことに気づいたり。
私の知る限りでは、大人は子どもに比べて「なぜ」を嫌がる。胸につかえる何かを感じたくないし、何もないということに気づきたくないのだろう。
しかし、そんなものは臭い物に蓋をしているだけだ。「本当は食道がんであるが無自覚でありたい」とか「服を着ていない
「ない」と「ある」の二重規範の中で
ここ最近、抽象的なことばかり考えている。「考えている」と言ってよいのか分からないほど、ぼんやりしている。
そんなぼんやりしたことは、ぼんやりとしか言語化できそうになく、文章にしたためるのも憚られる。何も言っていないに等しいようなことを文字に起こすことになりそうだ。毎日書いてアウトプットするには、少しサイズの大きすぎるテーマである。とてもじゃないが、書く気が失せる。ただの言い訳ではあるが、正直そん
有料課金に込めた思い
「あなたはエンタメが苦手と言っていますが、noteで月額課金の有料マガジンを販売していますよね。それにはどういった意味があるのですか?」
とても興味深い質問だった。
私のnoteは、人を楽しませるための娯楽としての課金だと思われてしまっているのかもしれない。
誰かを楽しませるつもりなど想定していなかった。けれど、それについて説明したことはない気がする。
今日は私のnote有料マガジン「脳内