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脳内議事録

認識の解像度を上げるための思索の旅の記録です。エッセイ、トーク、音楽などさまざまなかたちで頭の中を晒しています。…本音は傷つく、高くつく。
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2021年11月の記事一覧

印象にまで責任は持てない。地獄で会おう

印象にまで責任は持てない。地獄で会おう

たとえ同じような事柄であっても、「私はこう思う」と表現するのと「あなたはこうだ」と表現するのではニュアンスがまったく変わります。後者となると指摘の要素が強い。よほどの信頼関係が成立している自信がない限り(できればそれなりに信頼関係があったとしても)、後者の表現はしないほうがよいでしょう。

言葉の使い方には気をつける。それを前提とした上でのお話をしたいと思います。

あなたとは別人である私が「私は

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役割と私

役割と私

仕事などの場面において、「私」の意見ではなく「法人の私」としてとか「仕事人の私」として役割に徹して意見することはきっとあるでしょう。「私」はそう思わなくとも、「法人」がそう思っているから、あたかもそうであるかのように話す。そんなことはザラにあるのかもしれません。

反対に、そうした役割を脱いで主張するとき(たとえば、プライベートにおいて主張するとき)、私たちは好き嫌いでモノを言っていることが多いで

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場の視座の限界

場の視座の限界

他者と会話をするとき、正直なところ興味関心や価値観の違いはそれほど問題ではないと感じます。知識の差は、できれば小さい方がよいですが、それもよほどでなければ説明的なコミュニケーションを増やせば対応可能でしょう。

問題は、抽象度が合わない人との対話です。特に、(自分が想定するよりも)抽象度の低いところにとどまり続ける人との対話は苦痛をともないます。

映画を観終えるだけの集中力を持ち合わせていない件

映画を観終えるだけの集中力を持ち合わせていない件

洋画を観ながら、ついスマホを触り、映画の内容がもう何がなんだか分からなくなって巻き戻す。この行為に、どなたか名前をつけてくれませんでしょうか。

開始13分にして、もう4回は巻き戻しました。完全に時間の無駄です。

目的迷子

目的迷子

目的を見失って迷子になっている場面が、この社会にはものすごく多いと感じます。その前に、「目的」にはどのような意味があるのか。Googleで検索すると、「得ようとしてねらう対象。到達したい状態として意図し、行動を方向づけるもの。めあて。」(Oxford Languagesの定義)と出てきます。

分かりやすくいうと、「何のために」というのが目的だと思ってよいでしょう。何らかのねらいのために、何らかの

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認識の外に世界がある、の具体的事例

認識の外に世界がある、の具体的事例

先日、友人と一緒に街を歩いていると、「この店の前はカレーの匂いがするね」と言いました。私にはその匂いがよく分からない。幼い頃からひどい慢性鼻炎があり、アンモニアのような刺激臭以外の匂いが分からないのです。

嗅覚がほぼ死んでいる、いわば五感の1つを失っている私に対して「カレーの匂いがするね」と投げかけるのは、「死んだお爺さんの亡霊が見えるね」と言っているのにほとんど等しい。シックスセンス的な何かは

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この世は、似て非なるものであふれかえっている

この世は、似て非なるものであふれかえっている

人が居る(要る)から組織ができたはずなのに、組織があるから人がいるという状態にだんだんなってきたりするものです。

せめて、すでに文字で書かれてある指針や規則をよりどころに議論を始めることができないと、まるで前提の揃わない不毛な空中戦に突入します。「人がいるから組織がある」と「組織があるから人がいる」という前提が食い違うと、その後の話も食い違い続けます。東京から博多に行くのと沖縄から博多に行くので

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悩みは、淀んだ川の水をバケツにすくったようなものだ

悩みは、淀んだ川の水をバケツにすくったようなものだ

悩みというのは抽象的だから、淀んだ川の水をバケツにすくったようなものだと思えばよい。そうすれば、悩みをもう少し具体的なものとして見ることができるでしょう。

バケツの中を見てみると、ペットボトルやお菓子の袋のゴミ、ヘドロ、石、虫、砂利、水など、さまざまなものが混在しています。まさに悩んでいる心の中、そのものです。

「期待する」の反対

「期待する」の反対

「期待する」の反対は?と問われると「期待しない」と回答する人がほとんどだと思います。私もそう答えます。

この「期待しない」のニュアンスが、人によってどうやらとんでもなく乖離しているようです。

期待するでもしないでもない「他者に期待しない」と、私はよく言います。勝手に期待しておいて、勝手に裏切られて、傷ついたり怒ったりして…それって何か意味あるんだっけ、という考えから、他者に期待しないようにして

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意味と価値の中でいろんな人が共存しているね

意味と価値の中でいろんな人が共存しているね

「無意味と分かっていることに、さも意味があるかのごとく真剣に向き合い、それでいて半笑いで、微妙に結果を出す」みたいな。私は、そういう生き方がしたいです。無意味は退屈だし、かと言って意味は暴力になりうるから、ほどほどにやっていきたい。

意味や価値については、千差万別。意見の分かれるところです。

私は「この世界には絶対的な意味も価値もなく、すべては相対的である」という立場を取ります。(それを別に善

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「べき」の呪い

「べき」の呪い

こうするべき、そうあるべき。多かれ少なかれ誰もが「べき」を持っているのではないでしょうか。自分の中に「べき」を持つ分には構わない。むしろ、多少は「べき」を持っていないと生活がぐちゃぐちゃになります。

たとえば、「朝は遅くとも8時までに起きるべき」という「べき」を持っているからこそ時間までに起きれるのであって、私のように起きる時間に「べき」を持っていない人間は、平気で正午近くまで眠っている。

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何でも屋さんの専門屋さん化

何でも屋さんの専門屋さん化

コンビニにふらっと入って、「ほしいものないなぁ」とか言いながら、本当にほしいものもないのに、クセで、クセだけで何かを買っている気がします。「コンビニに寄るな」というのは難易度が高いので、ミネラルウォーター以外の購入には自分自身へ罰金を課すことに決めました。

袋小路に迷い込んでからが見せ場

袋小路に迷い込んでからが見せ場

「ないものねだり」という言葉があります。この世に苦しみはいくつとありますが、ないものねだりは特に絶望的な部類に入ると思うのです。

ないものねだりのループ