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2021年9月の記事一覧
みんな本当はうまくいく方法ではなく、楽しくやる方法を知りたいんだろう
「求められていないアドバイスはしない」というのが私のポリシーです(精神論で励ますことはあっても、方法論を提示したりはしないように気をつけています)。
責任が持てないもしアドバイスから何らかの成果が得られたとしても、その一方で別の何かを失っている。そんなことに責任は持てそうにないからです。
一口に「成果」と言っても、さまざまです。分かりやすいのは、「お金が儲かる」とか「知名度が上がる」「箔が付く
粘土板を焼き過ぎて、火災報知器が鳴りました。マジですいません。
2021年9月20日、敬老の日に(別に関係ないけど)粘土板のプロトタイプの制作を開始しました。
「習うより慣れろ」ということで、とりあえず粘土をさわって、思うがままに粘土板をつくってみました。
めちゃくちゃ難しい。小学1年生のクオリティです。文字をもっと小さくきれいに彫れるようになりたいところ。文字は正直カタカナじゃないときびしいです。粘土に筆を走らせてみて、あの頃彼らが楔形文字を作り出した理
アウトプットの流れを見直す
3日ぶりの更新となりました。ここ数日、アウトプットの在り方について再考していました。主に、アウトプットの中身というよりは、アウトプットの流れについてです。「この流れでやってみよう」というところに一旦行き着いたので記しておきます。
今までは、(特に何も考えずノリで)「noteを毎日更新するぞ」「Podcastを毎日更新するぞ」と気合を入れていたわけですが、今年の春頃からそのやり方にどうも限界を感じ
誰かにとっての価値をあなたにとっての価値として押し付けられないために
いきなり味わってもらえるわけではありません。
ここに存在することに気づいてもらわなくてはなりません。手にとってもらわなければなりません。
そうして、何かを伝えたい人は「見せ方が大切なのだ」と気づきます。
お知らせするだけの価値入れ物をきれいにデザインし、イケてる感じに撮影し、分かりやすいキャッチコピーと共に見せる。
ところが、見せ方に注力するあまり、中身のことをすっかり忘れてしまっている。
役に立とうとして役に立つのと、気づいたら役に立っているのとでは精神的に雲泥の差がある
誰かの役に立とうとして役に立つのと、気づいたら誰かの役に立っているのとでは、精神的に雲泥の差があります。どっちがどっちということもない。好みが分かれるところです。
誰かの役に立ちたい「誰かの役に立ちたい」と公言している人をよく見かけます。そうやって誰かの役に立つことを喜びとして、誰かの役に立とうとして、一生懸命役に立つための行動をしている人もいるのでしょう。
それはそれで一つの価値観として肯定
ライク・ア・ローリングストーン
「最近、性格が変わったんですよ」と知人が言いました。「どう変わったんですか?」と私は聞き返しました。
「ずっとまわりに気を遣ってばかりいたのですが、最近は合理的に判断できるようになりました」
判断基準の優先度が、感情よりも論理へと変わったらしい。確かに、感情優先だったさまざまな判断が論理優先になれば、性格が変わったかのように見えるでしょう。
そして、たとえば合理的に判断して付き合う人を変えた
勝ち取った自由なのだろうか
「残業時間は決められた範囲内」「転勤するかは個人の自由」「有給100%取得せよ」「男性の育休も当然の権利」
労働者の権利を行使できる環境であったり、働き方の多様性であったりと、私たち一人ひとりの自由意志が尊重される社会は、ある種の人権の勝利という見方もできます。
しかし、本当にそうでしょうか。
ミネラルウォーター&壮大なお門違い
ときどき夢にうなされることがあります。そういうときは決まって似たような夢を見ます。「昔のバイト」「専門学校」「バンド」のいずれかで、とてつもなくうまくいかない状況に置かれ、途方に暮れる夢です。
バイト昔、宅配便のバイトをしていました。夢の中では、荷物が膨大にあって配達が終わる気配がないとか、見たこともない景色で配達先が分からないとか。とにかく、変な汗をかきます。
専門学校専門学校の夢は、勉強に
オンラインコミュニケーションの奥行きについて
インターネット上に広がる情報空間。文字通り、コミュニケーションは時空を越えることができるようになりました。ありがたや。
ただし、縦と横にかぎる。
ほぼ無限に広がる空間は、縦と横なのです。まるで奥行きがない。
自分の言葉で語るということ
自分の名前、自分の顔、自分の言葉で語ることの機会と危険性は、少し考えれば分かるような気がします。
危険性といえば、炎上など批判にさらされることが分かりやすいでしょう。デジタルタトゥーを残し、一生十字架を背負って生きていくような気分かもしれません。
機会のほうはどうでしょうか。「インフルエンサー」と呼ばれる影響力を持った存在となり、チヤホヤされるとかお金持ちになれるとか、自分が広めたいと思ってい
宗教的、あまりに宗教的な
ある物語のある役を与えられ、その役を演じきることで心をなんとか落ち着けている人が実に多い。人間は、宗教的な、あまりに宗教的な動物であるというふうに私は思うわけです。
宗教を大っぴらに語る人はもちろんのこと、私の知る限りの日本の知人で「(積極的な態度で)宗教に入信しています」という人を見かけることはなかなかありません。
では、宗教は廃れてしまったのかというと決してそんなことはありません。神不在の