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2021年6月の記事一覧
受け止める、受け入れる
起こった事実をただ受け止めて、これから生きるはずの人生をどうすればよく生きられるかを考えるほかない。事実は事実なので事実に抗っても仕方ない。
先日、このようにTwitterに投稿したところ、以下のコメントをいただいた。
深ーく同意。
受け入れる。
うーむ、受け止めるとは、ちょっとちがうのかな?受け入れる。。。
「受け止める」と「受け入れる」、それぞれ似たような言葉ではあるが、なかなかニュアン
身近に潜む無自覚なサイコパス
最近、サイコパスによく出会う。本人に自覚はないようだ。サイコパスといえばシリアルキラーのイメージが強すぎて、まさか暴力性の低いサイコパスがいるなんて想像もしていないのだろう。自分が概念として持っていない存在に自分があてはまるかどうかなんて、当然ながら考えることはできない。
自分のことを「普通」の人間だと思っている。しかし、普通とは何だろう。いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであることとす
マイルドサイコパス 一問一答
前回、サイコパスである私が、世界や他者をどのように認知しているのかを綴った。
共感能力が低いことはサイコパス全般に共通する基本特性である。一方で、私は暴力性や衝動性が低いため、世間一般にイメージされるサイコパスとは違った面も多い。いわゆる「マイルドサイコパス」というやつである。
一見「普通」の人にしか見えないだろうし、あえてサイコパシーを全開に出す場面など社会にはほとんどないから、「そんなサイ
苦手な仕事に従事する
私はカナヅチである。すぐに水中に沈んでいく。生まれてこの方、水に浮いた試しがない。
今年の3月、6月と水泳に挑戦した。「誰でも泳げるようになる」という言葉と、仕事上の関係(一度その特殊な指導法を体験するという意味)もあって、レッスンを受けることになったのだ。
恐怖を克服し、水を楽しむ3月に2回のレッスンを受けた。一緒に参加した会社のカナヅチの同僚は、本当にみるみる泳ぎが上達した。水への恐怖心を
評価する主体としての私
私たちは、ときどき社会システムの「中」を生き過ぎる。いつの間にか「権力サイドから一方的に評価される客体」になり下がってしまう。
年収がいくらであろうが、仕事の出来がどうだろうが、言語化が得手不得手であろうが、「私」という存在が目の前の物事を評価する主体であることに変わりはないはずなのに。
家から徒歩5分の最寄駅へ、実際に5分前に家を出て歩いたら、案の定電車に乗るのがギリギリだった。5分前に家を
虚無を17回転させた後の残りカス
思うに、私は死が怖くない。なぜ死が怖くないのか。死んだ後のことなんて分かりようがないからだ。
「10年後の今日、あなたはどのように過ごしていますか?そして、どんな気分ですか?」
そんなことを問われたところで、妄想や願望以外に何も語れはしない。生でさえこの調子なのに、死後に関しては誰も生きて経験をしたことがないわけだから、死後を想定するのはただの妄想、願望である。あるかないか、あるとは何か、ない