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脳内議事録

認識の解像度を上げるための思索の旅の記録です。エッセイ、トーク、音楽などさまざまなかたちで頭の中を晒しています。…本音は傷つく、高くつく。
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2021年6月の記事一覧

受け止める、受け入れる

受け止める、受け入れる

起こった事実をただ受け止めて、これから生きるはずの人生をどうすればよく生きられるかを考えるほかない。事実は事実なので事実に抗っても仕方ない。

先日、このようにTwitterに投稿したところ、以下のコメントをいただいた。

深ーく同意。
受け入れる。
うーむ、受け止めるとは、ちょっとちがうのかな?受け入れる。。。

「受け止める」と「受け入れる」、それぞれ似たような言葉ではあるが、なかなかニュアン

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ドーパミン不在

ドーパミン不在

禁酒を始めて3日が経った。酒頼みでドーパミンを分泌していた私は、酒がなければドーパミンが出ない。離脱症状か、倦怠感がすごい。

それにもかかわらず

それにもかかわらず

「それにもかかわらず」「それなのに」という接続詞を人々は多用している。言葉に出していなくとも、( )に挿入されているものも含むと膨大である。結論から言おう。

勝手に、接続するな。

行動変容私は何度も注意してきた。それにもかかわらず、息子は全然宿題をしない。

私が勝手に注意を繰り返しただけだ。息子が宿題をするかどうかは、息子が決めることだろう。宿題をやる人間は言われなくてもやるし、宿題をやらな

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身近に潜む無自覚なサイコパス

身近に潜む無自覚なサイコパス

最近、サイコパスによく出会う。本人に自覚はないようだ。サイコパスといえばシリアルキラーのイメージが強すぎて、まさか暴力性の低いサイコパスがいるなんて想像もしていないのだろう。自分が概念として持っていない存在に自分があてはまるかどうかなんて、当然ながら考えることはできない。

自分のことを「普通」の人間だと思っている。しかし、普通とは何だろう。いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであることとす

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音楽とエッセイと私

音楽とエッセイと私

私は、このnoteを通じて「表現活動」を行なっている。表現活動というほど緊張感がない日もあるにはあるが、基本的にここは私の表現欲求を満たしてくれる場所になっている。

かつて、それは音楽だった。作詞作曲という形で自分の考えていることや世界観を表現した。再現可能な「曲」をスタジオやライブで演奏し、エネルギーを爆発させる。音楽活動は、私の表現の原点である。

コスパ思考思うに、音楽活動は「コスパ」が悪

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擬態と適応

擬態と適応

マイルドサイコパス 一問一答という記事で、「社会に擬態する」という表現をした。

社会に対して行動的には馴染めている感覚はあるが、認知的(特に情動面)には馴染めている感じがまったくしないこと。それを「社会に擬態する」という風に表現したのである。

記事に対して、下記のような意見をいただいた。

つーかあれだな。みんな何かしら擬態してるよね?少なくとも擬態を擬態と言わないようにしてるのか気づいていな

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マイルドサイコパス 一問一答

マイルドサイコパス 一問一答

前回、サイコパスである私が、世界や他者をどのように認知しているのかを綴った。

共感能力が低いことはサイコパス全般に共通する基本特性である。一方で、私は暴力性や衝動性が低いため、世間一般にイメージされるサイコパスとは違った面も多い。いわゆる「マイルドサイコパス」というやつである。

一見「普通」の人にしか見えないだろうし、あえてサイコパシーを全開に出す場面など社会にはほとんどないから、「そんなサイ

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感情という難題

感情という難題

「サイコパス」と呼ばれるパーソナリティに、私は当てはまる。

※この文章には、いつも以上に不快な表現が含まれています。具合が悪くなるおそれがありますので、あらかじめご了承いただける方のみお読みください。一切の苦情はスルーさせていただきます。

とあるサイコパスの自己開示他者が目の前で悲しんでいても、私はちっとも悲しくならない。パニックになっている人を見ても、いたって冷静でいられる。どうやら私は情動

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苦手な仕事に従事する

苦手な仕事に従事する

私はカナヅチである。すぐに水中に沈んでいく。生まれてこの方、水に浮いた試しがない。

今年の3月、6月と水泳に挑戦した。「誰でも泳げるようになる」という言葉と、仕事上の関係(一度その特殊な指導法を体験するという意味)もあって、レッスンを受けることになったのだ。

恐怖を克服し、水を楽しむ3月に2回のレッスンを受けた。一緒に参加した会社のカナヅチの同僚は、本当にみるみる泳ぎが上達した。水への恐怖心を

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知のセンス

知のセンス

自分のことを、または他者のことを「バカだな」と思うことがある。何をもってバカだと思っているのか。私にとってバカとは何なのか。

バカとはこれまで自分の中で定義されないまま、バカという言葉を運用してきた。説明のつかない「バカ」は、ただの悪口に聞こえてしまうだろう。何らかの評価であることには違いないが、私は決して悪態をつきたいのではない。

しかし、自分の中にある感覚としてだけの「バカ」では無責任とい

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評価する主体としての私

評価する主体としての私

私たちは、ときどき社会システムの「中」を生き過ぎる。いつの間にか「権力サイドから一方的に評価される客体」になり下がってしまう。

年収がいくらであろうが、仕事の出来がどうだろうが、言語化が得手不得手であろうが、「私」という存在が目の前の物事を評価する主体であることに変わりはないはずなのに。

家から徒歩5分の最寄駅へ、実際に5分前に家を出て歩いたら、案の定電車に乗るのがギリギリだった。5分前に家を

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調子が悪いときに見る夢

調子が悪いときに見る夢

調子が悪いときに見る夢がある。仕事の調子が悪いとき、行き詰まりを感じているときに見る夢。

やりがいのある仕事

やりがいのある仕事

求人広告で「やりがいのある仕事です」と謳っているのがあれば、まず無責任な会社だと思って間違いない。与えられもしないことを書いているなんて、どう考えても無責任だろう。

たとえ、どんなにやりがいを感じやすいと思われる環境を用意したとしても、やりがいを感じるか否かは働く本人の感覚でしかない。第三者が勝手に「やりがいがある」と決めるのはおかしいだろう。働く本人が自分の意見として「やりがいがある」と述べる

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虚無を17回転させた後の残りカス

虚無を17回転させた後の残りカス

思うに、私は死が怖くない。なぜ死が怖くないのか。死んだ後のことなんて分かりようがないからだ。

「10年後の今日、あなたはどのように過ごしていますか?そして、どんな気分ですか?」

そんなことを問われたところで、妄想や願望以外に何も語れはしない。生でさえこの調子なのに、死後に関しては誰も生きて経験をしたことがないわけだから、死後を想定するのはただの妄想、願望である。あるかないか、あるとは何か、ない

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