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脳内議事録

認識の解像度を上げるための思索の旅の記録です。エッセイ、トーク、音楽などさまざまなかたちで頭の中を晒しています。…本音は傷つく、高くつく。
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2021年3月の記事一覧

この世に、怒るだけの価値があるものってそんなにあるっけ?

この世に、怒るだけの価値があるものってそんなにあるっけ?

スタバでおじさんがキレていた。

おじさんを語る、その前におじさんについて論じる前に念のため言っておく。主語が大きくなると、解像度が下がり、論じたい対象以外のものまで含んでしまう。一括りにするのは雑すぎるということ。

たとえば、「おじさん」という括り自体どうかとは思う。怒らないおじさんもたくさんいらっしゃることは重々承知である。「世の中のおじさん全員は」なんてこれっぽっちも思っていない。

ただ

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意味の脆弱性

意味の脆弱性

一層目から虚無っているわけではなく、意味の意味の意味を考えていくうちに「意味なんてないよね」というところにたどり着く。まわりまわって虚無っている。

誰かが意味らしいものを語るとき、たとえそれがどんなに多くの人から支持されるようなものであったとしても、最終的には一人ひとりにとっての意味でしかない。

たとえば、新型の何とかウィルスをあなたはどのように意味づけているだろうか。

ある人はデータを熟知

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スマホ「に」最適化されていく私をやめる

スマホ「に」最適化されていく私をやめる

私は、最近のスマホの巨大化にうんざりしている。巨大ならばもはやタブレットのほうが動画を読むにも記事を読むにも便利ではないか。もはや、最近のスマホはスマートじゃない。そんな風に思っている。その上、見やすくなればなるほど中毒化を招く。

過去に、私はこのようなことをnoteに書いていた。

考えた末、「単体で完結するスマートウォッチ」が最強という結論に至った。(中略)今のところいい感じの物が見当たらな

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指導コミュニケーション

指導コミュニケーション

この週末は泳いだ。カナヅチの私が、ウェットスーツにスノーケリングベスト、マスクにスノーケルというフル装備で水泳指導を受けた。

「だんだん装備を外して普通に泳げるようになる」というプログラムで、25mをクロールで泳げるというゴール設定の本、取り組んだ。

水泳距離、5メートルのスーパーカナヅチ。35年間まともに水に浮いたことのない私が、水の上で活動できたこと、浮いているという感覚、水の中を進んでい

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堂々巡り

堂々巡り

昨年、世界は大きく揺さぶられた。私の仕事も例外ではなく、緊急ストップ。手を止め、足を止め、変則的な動きをしたりと非日常感満載の一年だった。

他者とのコミュニケーション量が圧倒的に減り、1人で過ごす時間も多かった。仕事が思うように進まないのはもどかしかった一方で、(不謹慎ではあるが)個人の暮らしという意味では静かで心地よいものがあった。

家で少しだけ仕事する日も多く、夜には散歩をするのが日課だっ

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あまりにも未熟な

あまりにも未熟な

「言葉を使用する」ということにおいて、私たち人間はあまりにも未熟である。

言葉によって「意味」を伝達したいのか「印象」を伝達したいのか。ほとんどの場合において意味も印象も混じり合っていたり、そうでなかったりする。そもそも、形容詞のように印象そのものが言葉として存在するものまである。とはいえ、印象成分を除去して意味だけを伝えたいときだってある。

受け手が言葉を受け取り解釈するまでの一切を考えずに

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愚人はルールを知らず、賢人はルールを熟知し、狂人はルールを作り変える

愚人はルールを知らず、賢人はルールを熟知し、狂人はルールを作り変える

バンドマン時代は想像もしていなかったが、いただいた機会の中で挑戦していくうちに、今では組織づくりのコンサルティングをさせていただく機会が増えてきた。

私がこれまで読んできた本や、横目で眺めてきた企業、現場でコンサルティングしてきた一次情報から総合するに、100名未満の企業のほとんどが次のような問題を抱えている。

①「理念(何を目指すのか)」と「組織図(責任と権限の明文化)」と「業務(一人ひとり

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シソフレ

シソフレ

私は対話を必要としている。必要としているが、「対話しましょう」というのではピンと来ない。それに、できれば思想レベルの対話がしたい。宗教やイデオロギーを越えて「なるほど、そういう意見もあるのか」という関係で語り合いたいのだ。

しかし、である。

「思想レベルの対話をしたいでーす」なんて言ったところで、誰が相手してくれるというのだろうか。単純に重い。重苦しい。ポップさに欠けている。

世の中には、〇

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「ない」と「ある」の二重規範の中で

「ない」と「ある」の二重規範の中で

ここ最近、抽象的なことばかり考えている。「考えている」と言ってよいのか分からないほど、ぼんやりしている。

そんなぼんやりしたことは、ぼんやりとしか言語化できそうになく、文章にしたためるのも憚られる。何も言っていないに等しいようなことを文字に起こすことになりそうだ。毎日書いてアウトプットするには、少しサイズの大きすぎるテーマである。とてもじゃないが、書く気が失せる。ただの言い訳ではあるが、正直そん

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なぜ私は対話を必要とするのか

なぜ私は対話を必要とするのか

私は、対話を必要とする。

むしろ、対話以外で向かい合って話すことを必要としない。送信ボタンを押せば情報は、受信者の元へと飛んで行く。情報伝達であれば、何も向かい合う必要はない時代だ。

「寂しいから」「つながりたいから」とか、そう考える方は多いのかもしれないけれど、それだったら言葉は必要ないかもしれない。ハグとか添い寝とか、そういうフィジカルなコミュニケーションのほうが、よっぽどつながっている感

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感謝に包まれて生きる感覚

感謝に包まれて生きる感覚

若い頃、学校や家庭などさまざまな場面で、感謝について教えられた。主に「礼」の部分に特化して、感謝の意を「ありがとう」という言葉で表すとか謙虚な態度を持つといった表面的な振る舞いについて教え込まれたように思う。突き詰めると、相手からどのように見られるかの話である。

大人になっても礼大人になったらなったで、感謝について言及される機会があった。いかように振る舞うか。やはり、そこでも「礼」の話であった。

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固定化された距離感で凝り固まる

固定化された距離感で凝り固まる

学生時代に戻る夢を見た。教室に机と椅子が敷き詰められてある、あの光景だ。一晩(夢の中では3日間)、学校生活を送ってみた感想は以下の通り。

「固定化された距離感、しんどい」

来る日も来る日も、前にはあいつ、隣にはこいつ、後ろにはそいつである。何も彼ら彼女らのことが嫌いだと言いたいわけではない。同じ顔ぶれに飽きてくるのだ。

奇跡的に好きな人の隣であれば、むしろ毎日多くの時間を近くで過ごしたいと思

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器用と不器用

器用と不器用

不器用な人は器用な人に、器用な人は不器用な人に憧れる。

不器用な人は、合理的に考えれば不要な事故を多々引き起こす。しかし、そもそも不器用だからそれを避けることができない。一方、器用な人はそのような事故は起こさない。火種を器用にかわせてしまうから。

不器用な人は器用な人に憧れる。「私も器用になって不要な事故なんか起こしたくない」と思う。

そうした一面だけを切り取れば、確かにそうだ。「不要な事故

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生物学的なオスとメスの話

生物学的なオスとメスの話

「男は」とか「女は」とかを語ると差別主義者としてレッテルが貼られがちな今日この頃、デリケートな話題は避けるに越したことはない。

さて、今日はそんな「男は」とか「女は」みたいなタブーに切り込んでいきたい。

先天性&後天性そもそも、男女の話題がヒートアップして冷静に話し合えないのは、先天的(生物学的)な理由と後天的(社会的)な理由をごちゃ混ぜにして話しているからだと私は推測する。もちろん、本質的に

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