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2021年3月の記事一覧
この世に、怒るだけの価値があるものってそんなにあるっけ?
スタバでおじさんがキレていた。
おじさんを語る、その前におじさんについて論じる前に念のため言っておく。主語が大きくなると、解像度が下がり、論じたい対象以外のものまで含んでしまう。一括りにするのは雑すぎるということ。
たとえば、「おじさん」という括り自体どうかとは思う。怒らないおじさんもたくさんいらっしゃることは重々承知である。「世の中のおじさん全員は」なんてこれっぽっちも思っていない。
ただ
スマホ「に」最適化されていく私をやめる
私は、最近のスマホの巨大化にうんざりしている。巨大ならばもはやタブレットのほうが動画を読むにも記事を読むにも便利ではないか。もはや、最近のスマホはスマートじゃない。そんな風に思っている。その上、見やすくなればなるほど中毒化を招く。
過去に、私はこのようなことをnoteに書いていた。
考えた末、「単体で完結するスマートウォッチ」が最強という結論に至った。(中略)今のところいい感じの物が見当たらな
指導コミュニケーション
この週末は泳いだ。カナヅチの私が、ウェットスーツにスノーケリングベスト、マスクにスノーケルというフル装備で水泳指導を受けた。
「だんだん装備を外して普通に泳げるようになる」というプログラムで、25mをクロールで泳げるというゴール設定の本、取り組んだ。
水泳距離、5メートルのスーパーカナヅチ。35年間まともに水に浮いたことのない私が、水の上で活動できたこと、浮いているという感覚、水の中を進んでい
愚人はルールを知らず、賢人はルールを熟知し、狂人はルールを作り変える
バンドマン時代は想像もしていなかったが、いただいた機会の中で挑戦していくうちに、今では組織づくりのコンサルティングをさせていただく機会が増えてきた。
私がこれまで読んできた本や、横目で眺めてきた企業、現場でコンサルティングしてきた一次情報から総合するに、100名未満の企業のほとんどが次のような問題を抱えている。
①「理念(何を目指すのか)」と「組織図(責任と権限の明文化)」と「業務(一人ひとり
「ない」と「ある」の二重規範の中で
ここ最近、抽象的なことばかり考えている。「考えている」と言ってよいのか分からないほど、ぼんやりしている。
そんなぼんやりしたことは、ぼんやりとしか言語化できそうになく、文章にしたためるのも憚られる。何も言っていないに等しいようなことを文字に起こすことになりそうだ。毎日書いてアウトプットするには、少しサイズの大きすぎるテーマである。とてもじゃないが、書く気が失せる。ただの言い訳ではあるが、正直そん
なぜ私は対話を必要とするのか
私は、対話を必要とする。
むしろ、対話以外で向かい合って話すことを必要としない。送信ボタンを押せば情報は、受信者の元へと飛んで行く。情報伝達であれば、何も向かい合う必要はない時代だ。
「寂しいから」「つながりたいから」とか、そう考える方は多いのかもしれないけれど、それだったら言葉は必要ないかもしれない。ハグとか添い寝とか、そういうフィジカルなコミュニケーションのほうが、よっぽどつながっている感
感謝に包まれて生きる感覚
若い頃、学校や家庭などさまざまな場面で、感謝について教えられた。主に「礼」の部分に特化して、感謝の意を「ありがとう」という言葉で表すとか謙虚な態度を持つといった表面的な振る舞いについて教え込まれたように思う。突き詰めると、相手からどのように見られるかの話である。
大人になっても礼大人になったらなったで、感謝について言及される機会があった。いかように振る舞うか。やはり、そこでも「礼」の話であった。
固定化された距離感で凝り固まる
学生時代に戻る夢を見た。教室に机と椅子が敷き詰められてある、あの光景だ。一晩(夢の中では3日間)、学校生活を送ってみた感想は以下の通り。
「固定化された距離感、しんどい」
来る日も来る日も、前にはあいつ、隣にはこいつ、後ろにはそいつである。何も彼ら彼女らのことが嫌いだと言いたいわけではない。同じ顔ぶれに飽きてくるのだ。
奇跡的に好きな人の隣であれば、むしろ毎日多くの時間を近くで過ごしたいと思
生物学的なオスとメスの話
「男は」とか「女は」とかを語ると差別主義者としてレッテルが貼られがちな今日この頃、デリケートな話題は避けるに越したことはない。
さて、今日はそんな「男は」とか「女は」みたいなタブーに切り込んでいきたい。
先天性&後天性そもそも、男女の話題がヒートアップして冷静に話し合えないのは、先天的(生物学的)な理由と後天的(社会的)な理由をごちゃ混ぜにして話しているからだと私は推測する。もちろん、本質的に