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2021年1月の記事一覧
Clubhouseを学校生活ととらえてみる
1月27日、音声SNS「Clubhouse」を始めた。黎明期の自由度があるからなのか、今までで最もソーシャルネットワーク感のあるSNSだ。
高校の昼休みだった1月28日に「Clubhouseは何かに似ていると思ったら、高校時代の昼休みだった」という感想を持った私は、それから今日に至るまで高校時代の昼休みのノリで使用してみた。
1月29日、ずっと存在は知っていたけれど話したことのない人と話せた。
Clubhouseが楽しすぎて日常が崩壊しそう
レギュラーな生活の中に新しいレギュラーが入り込むと、あら不思議。日常が崩壊する。
今日は、Clubhouseで初めて出会った人たちと2030年の日本について議論したり、自動車産業のリアルを聞いたり、お笑い芸人や仮想通貨の億り人、セックスカウンセラー、シンガー、地元の先輩、旧友などさまざまな人たちとコミュニケーションした。
仕事は仕事で、企業人から子どもたちまで議論した。朝から晩までどれだけ議論
Clubhouseは何かに似ていると思ったら、高校時代の昼休みだった
音声SNS「Clubhouse」が話題になっている。
私も招待していただき実際に使ってみた。2日ほど使用した感想を記す。
まぎれもなくSNSClubhouseは、リアルタイム音声チャット ✕ SNSだ。結論から言うと、ラジオ的とはあきらかに違う。ラジオやポッドキャストは比較的リスナーとの距離が近いメディアだと思うが、Clubhouseはさらに距離が近い感じがする。というか、まさにSNSだ。双方
プラットフォーム強迫症
世の中、プラットフォームで溢れかえっている。そして、私自身プラットフォームに埋もれている。
もちろん、noteもプラットフォームだし、毎日投稿しているPodcast「サイコパスのラジオ」も複数のプラットフォームにまたがって配信している。
YouTubeとstand.fmという音声配信アプリにサイコパスのラジオを別途手動で配信。
また、Twitterではそれらの更新情報を拡散する。。
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表面的には行動の賜物だが
思うに、私の人生を大きく変えてきたのは「人との出会い」である。表面的には行動の賜物だ。
しかし、行動だけではなかったのも事実だ。思考が追いついていなければ、その人との出会いをそもそも意味あるものとしてキャッチできなかっただろう。
マンションの管理人について私の人生のターニングポイントの1つに、福岡市に引っ越してきて最初に住んだマンションの管理人との出会いがある。
ただのクソジジイと思っていた
やりたいこと、やりたくないこと
今、働いている会社において、私が参画した理由の本流とは異なる別の事業にも携わっている。
本来、B事業の立ち上げで参画したにも関わらず、B事業が思った以上に時間がかかり過ぎて、(社内リソースが足りず)既存のA事業にも携わらなければならない状況にある。しかも、責任ある立場で。
A事業をやるつもりで来たわけではないため、いわば「やりたくないこと」に責任を持って臨んでいることになる。考えただけで吐きそ
気持ちと数字とブロッコリー
最近、野菜にハマっている。
散歩がてら野菜を調達すべく八百屋へ出かけた。
店の前に着く。何と、今日は店休日らしい。
徒歩圏内に、あと2つ八百屋がある。検索したらどちらも店休日だった。
仕方なく八百屋の向かいにあるスーパーに行く。普段行かないスーパーで、普段買わない野菜を買う。野菜コーナーに行く。
ブロッコリー298円。向かいの八百屋なら128円で買えるのに、どうして170円を余分に払わね
プロセスが好きなんだよ
先日、「秘密結社S.A.B 発足」という記事を書いた。これを書くときに「あれはいつだったっけ」ということがいくつかあり、note内を検索した。記事のおかげで、時系列とそのときの心情がよく思い出せた。
歩いてきた道のりはよく見える1年以上毎日エッセイを書いていると、いいかげん言いたいことは言い終わったなという気持ちにもなってくる。毎日発信するほどのことはないよなと思いつつも、それでも書き続けている
いつもと違う自分になる
風邪を引いたり怪我をしたり、何でもないときの自分とは違う状態になったとき、何でもないことの見え方が変わる。
ユニバーサルなスマホ今日、会社で洗い物をしていたときのこと。コップのふちが欠けていたことに気づかずにザクっと小指を切った。
10秒ぐらいすると、ドバドバと血が流れ始めてきた。傷はなかなか深そうだ。
病院に行かないとダメなやつなのかな。怪我することは滅多にないからよく分からない。インター
秘密結社S.A.B 発足
昨年から準備を進めていた秘密結社が、いよいよ始動する。
既存のコミュニティに馴染めない私学び合いたいときに既存のコミュニティに飛び込めずにいた。既存のコミュニティに馴染めなかった人間の末路である。
だったら、自分でつくればよい。自分の肌に合うかたちで、哲学を学び合うようなコミュニティをつくりたいと思ったのはこのときだった。
集まっている意味がブレるおそれ
しかし、なかなか思うようには進まない
私が、リーダーにならない理由
リーダーにならない。私はそう決めている。
理由は2つある。
盛り立てようとしてしまう1つは、みんなの機嫌取りに違和感を感じるから。
別に、機嫌取りなんかしなければ良いんだろうけど、みんなが楽しそうじゃなかったりするとつい自分が盛り立てなければいけないような使命感に駆られる。誰からも頼まれていないのに、エンターテイナーとして振るまわなければならない気持ちになる。
場の中の機能として振る舞おう
21時のゴーストタウン
21時、仕事を終えた。
「腹、減ったなぁ」
帰り道、空腹だったからこそ、いつも以上に飲食店が視界に飛び込んでくる。
表通りを通る。飲食店という飲食店が閉まっていた。暗い。店が閉まっているから人の気配も感じられない。とても都市の夜の姿とは思えない。
車の往来だけが日常で、それを除けばゴーストタウンそのものである。
どちらも取りたいなら
AもBもどちらも取りたい。人生にはそんな場面が盛りだくさんである。
多くの場合、「どちらも」ではなく「どちらか」を選ばなければならない…ような感覚に陥る。
しかし、それは「今」という短期的な視点にとらわれているからである。大きめの時間軸でとらえると「どちらも」取れることは少なくないのだ。
1年では相反するそれも、5年や10年という時間軸で見れば共存可能だったりする。視座を高く持って、自分の欲