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2020年9月の記事一覧
風に揺られながら書く
「文章を書く」となると、昔は机に向かってカリカリやっていた。原稿用紙からpcへ。今や、カリカリからカタカタへと時代は変遷した。
実は、私はスマホでこの文章を書いている。pcが使えないわけではなく、もっと別の事情がある。
モチベーション消失書きたいテーマを昔はネタ帳にため込んでいた。思いついた瞬間にメモする。そして、いざ文章を書く時間が取れたときに、ネタ帳から選んで書いた。
よかったのは、書く
人生は意味づけのゲーム
自宅から10分ほど歩いたところにある川に、カメが数十匹住み着いている。
天気のよい昼間には、気持ちよさそうに日向ぼっこをしたり、川を泳いだりしている。カメが泳いでいる姿は癒される。思わず会議に遅刻しそうになるぐらい見惚れる。
「カメ、可愛いなぁ」
だからといって、カメを飼いたいとは思わない。
カメを飼うとしたらカメと暮らすには、まずカメが住める環境を用意しなくてはならない。当然、最初の準備
双六(すごろく)型の挑戦と縄跳び型の挑戦
人生における挑戦は、双六(すごろく)型と縄跳び型で説明できる。自分の挑戦がどちらなのか、自分はどちらが得意なのか、はたまたどちらが好きなのか、あらかじめ理解しておいて損はない。
双六型の挑戦ご存知のとおり、双六はサイコロを振って、出た目の数だけマスを進み、ゴールを目指すボードゲームだ。
双六的な挑戦。今とゴールに目に見えた変化がある場合だ。ゴールした感が分かりやすいもの、とも言える。
たとえ
夢を持つことについて
夢を持つことは大切なのか?
私が子どもの頃は、夢を持つことが絶対的な善で、夢を持たないことは悪という雰囲気があった。最近は、夢を持つことで本人が苦しめられているから、夢なんかにとらわれず、すくすく育っていけばOKみたいな風潮があるように思う。
理想と現実のギャップに向き合う私個人の意見としては、「夢は1度ぐらい本気で追いかけたほうがよい」と考えている。
大成して世の中に貢献するとか、1度きり
心地よい生産の無限ループと資本主義社会の向こう側
現代社会は、経済に侵されている。人間という本来非合理的であるはずの生物が、経済合理性の渦に飲み込まれ、しぼみ切っている。過剰なまでに経済に意識が向いている。「生産性」などと言い出した奴はどこの誰だ。奴隷の長にきっと違いない。
資本主義ゲームに参加する私たちは、半ば強制的に資本主義ゲームに参加させられている。その恩恵を受けて育ち、今なお恩恵を受け続けている。この生態系に暮らしている以上は「お金」と
最強の健康法は自作あるのみ
食事、睡眠、運動、瞑想、ダイエット…。世の中には、いろいろな健康法が出回っている。
「誰々式何とか法」をさっさと取り入れてしまうのも手っ取り早いのだが、どうも気が乗らない。
(Apple以外の)パッケージ商品になかなか満足できない性分の私は、いろんな健康法をデパ地下の試食のようにつまみ食いしながら、自分に合ったスタイルを模索している。
それぞれ部分的に習慣化されたことが随所に散りばめられた、
カタログのような探し方でも満足できてしまうのは自己理解を深めた人間だけ
「結婚したいなぁ」とか「家ほしいなぁ」とか「お金ほしいなぁ」とか、人はいろんなものを欲しがる。
それに対して「なんで?」と尋ねる。明確に答えられる人は、多くない。ごちゃごちゃと語り始める。最終的にその内容をまとめると「分かんないけど、全部ほしいです」みたいなことを言っている。
全部ほしいとして、何をもって「全部」とするのか。たとえば、家を買うとしよう。
風呂やトイレが多分必要だということは分
主人公は物語を生きる
陳腐な言い方にはなってしまうが、誰もが人生の主人公であるべきだ。キレイごとのように聞こえるかもしれない。しかし、どちらかと言うと、私は危機感を煽っている。
自分のことを脇役だと思い込んでいる人は、物語の主人公があなたの前からいなくなる度に物語が終わってしまう。これでは、あなたという一貫とした物語が存在しないまま一生を終えることになってしまう。
「脇役的な役回りをするな。主人公っぽく目立つことを
人と向き合い過ぎるのもよくない
人と向き合うことは、一見よいことのように見える。
「自分と同じひとりの人間として認め、きちんと相手と向き合う」
やっぱり、よいことのように見える。誰だって、ひとりの人間と認めず相手と向き合わない態度について「それいいね!」とはならないと思う。
だからといって、自分と同じひとりの人間として認め、きちんと相手と向き合うことが「よいこと」と思うにはまだ早い。
お花畑と現実多くの人は「ひとりの人間