- 運営しているクリエイター
2020年5月の記事一覧
動物らしさを取り戻そう
3ヶ月ぶりにサウナに行ってきました。
わざわざプロフィールに載せるぐらい私はサウナが好きです。
このご時世ですから利用者はやはり少なく、日曜日だというのに平常時の3割程度という感じでした。
何はともあれ、3ヶ月ぶりのサウナ。
身を清めて、身体を拭いて、いざサウナ室へ。
サウナ室に入って、1分後。ニヤニヤしている自分にふと気づきました。完全に気持ちの悪いやつですね。
普段なら12分過ごす
価値観がバランスするとき
「ごめんね。」
高校時代の友人から突然連絡が来ました。
謝罪と一緒に1枚の画像が送られてきました。
2000年頃、高校当時の写真です。大きな雪だるまが靴を履いています。
連絡をくれた友人含む何人かのグループが、面白がって雪だるまに私の体育館シューズを履かせた。その記念写真です。
(連絡をくれた友人は雪だるまをつくった当時はまだ間接的にしか知り合っていませんでした。話したことすらなかった。
清々しく生きてゆきたい
清々しく生きてゆけるかは、どれだけ手放せるかにかかっていると思うのです。手放しているかではなく、手放すことができるか。
たとえば、洋服を手放すことはできそうですか?洋服が好きか嫌いか、仕事上洋服が重要か。誰もそんなことは聞いていません。手放すことができるという認識が持てるかを問うているのです。
人は何かと理由をつけて、手放せないと思い込んでしまいがちです。
次はもっと重いことを尋ねます。
外に出れば偶然の発見がある
春らしいポカポカした天気で、思わず外出したい気分になりました。用事はないけど、警固公園へ向かいます。途中のコンビニで炭酸水を買って。
公園の横長いベンチに腰かけて、私は本を読んでいました。
しばらくすると、隣に大学生ぐらいの男女が座りました。
なかなか声が大きくて会話の内容が筒抜け。会話の内容から見えてきたこと2人は以下の通りです。
公園に来る前にUFOキャッチャーでスヌーピーのぬいぐるみ
選ばれるためのキャリアを捨てる
選ばれるためのキャリアなんてものは早いうちに捨ててしまえばよいと思うのです。
選ばれるためのキャリアというのは、就職活動や転職活動でなるべくどこの企業でも選べるように準備しておくことです。「選択肢は多いほうが良い」という考え方ですね。
それは、たくさんのお金を持ってファミレスに行くようなものです。メニュー表から何を注文し、どれだけ食べても心配ないだけのお金を用意している状態。
仮に100社就
人間ファーストの仕組み
社会の「仕組み」の中に私たちは生きています。それはそれは複雑な仕組みです。
法律を守らなきゃいけないというのに、法律を全部知っているという人が一体どれぐらいいるんでしょうか。
国家は、国の秩序を保つために国民に法を守らせます。そして、どうしても法律を守れない人を刑務所へ送ります。それだけの権力が彼らにはある。
でも、きっと私たちの多くは守るべきルールがいくつあって、具体的にそれが何なのかを理
感性は温泉、論理は水路
合理性を追求することほどつまらないものはないと思っています。「正論」だけで終わってしまうと、人間一人ひとりの価値観のバラつきなんてものはもう無視したほうが合理的だということになってしまう。
こんなことを、共感能力が低く、つい論理に偏重しがちなサイコパスの私が言うと意外に感じるかもしれません。でも、本当にそう思っています。
たとえば、経営をしていると、合理的な判断や決断を下さなければならない場面
できなかったおかげでできたこと
昨今の社会情勢でイベントは軒並み中止。イベント関係のお仕事の方は本当に大変だと思います。
何とも皮肉なのですが、イベントがリアルで開催できなかったことにより、普通なら参加できないイベントにWeb上で参加することができました。
今ふうのビジネス系のセミナーというのは、多くが東京で開催されます。
私が住む福岡で開催される同様のイベントは、時差があったり、劣化していたり、温度差があったりします。
作品のデフレーション
動画制作をするためにBGMを音楽プラットフォームで探していました。イメージが先にあって、それに合致するものを探している、そんな場面。
複雑な心境最初の音色、最初の響きを聴いて、ものの数秒で「次!」「次!」と飛ばしていく。数秒をクリアし、15秒まで来たあたりで「あー、そこでそのスネアの音色かぁ。違う、次!」と飛ばす。
自分で作らなくとも、イメージに合致する曲をこうして簡単に選べることは、消費する
サイコパスは必然的に嘘つきだ
サイコパスには共感能力がありません。
そう言うと、相手の気持ちが理解できない人のように思われるかもしれません。しかし、それは半分正解で半分間違いです。
気持ちで共感する能力が著しく乏しい。でも、論理的には共感できるんです。
心では分からないけど、頭では分かる
哀しそうな人を見て、1ミリも哀しいという気持ちにならないけれど、哀しいんだろうなということは理屈で分かります。
心では(まったく)分