麻雀とのお付き合い⑤
大学の友人たちとのセット麻雀は、基本は夜に集合して朝までで、朝には私が車で友人たちを送り届け、そのまま最後に送った友人宅に転がり込んで、昼過ぎまで寝て、起きたらまた今日は何をしようかと考えるような日々が続いていた大学3年生頃。
大学に行けよという話ですが、本当に気が向いた時にしか行かないような生活が続いていました。
自宅に帰ることも少なかったですが、帰ると地元のフリー雀荘に顔を出して、店長や常連のおじさん達に可愛がられていたように思います。ちなみに帰るのはいつも道が空いている深夜で、大学付近から自宅への最速記録は29分でした。30分の壁を破ったのは一度限りでよく覚えています。スピードというより信号との勝負で、どのルートが信号の数、タイミングが最適か模索していました。
麻雀は始めて2年ほど経っても、楽しさは相変わらず、自動配牌の今と違って4枚ずつ配牌をとること、それを片手で立てるといったことにすら楽しさを感じていました。普段セット麻雀に行っていた八王子の雀荘で働き始めた友人(女子)もいましたが、私にその発想はなく、暇なときには、その雀荘にもフリーで行っていました。
さて、3年生も後半になり、一般的には就活シーズンの始まりです。
そもそも4年目の1年間で、卒業するだけの単位がとれるのかがかなり怪しく、就活して内定を得たとしても、就職できない可能性も高いと思いつつ、ゆるゆると就活を始めます。まわりは早々に4年での卒業を諦めている友人が多く、仲間内ではほぼ自分だけ就活をしている感もあり、ゆるゆるさに拍車がかかります。
そんな自分を駆り立てるべく、説明会やセミナー、面接に行きはじめた時に決めたのが、朝早い説明会は、前の日からその付近に行って、朝までフリーで麻雀をしてからそのまま行くということでした。早起きしていくのはつらいからという理由でしたが、そりゃ説明会で寝ますね。面接も一晩麻雀してきた人間に、覇気が残っているわけもなく、なかなかうまくいきません。そもそも就活で実際に動くのは週1回程度で、それ以上は自分には無理と決め込んでいました。志望したのも、朝から働きたくないという理由により、学習塾や予備校でした。なんなら夜の仕事にと思ったこともありましたが、家庭教師や塾講師のアルバイト(これも常に週1ペース)はそれなりに楽しく、自分がもし働けるとしたら、昼から始業のこの類の業界ではないかと思っていました。
さすがに途中からは雀荘に前泊するルーティンはやめて、説明会なり面接が終わったら、その街の雀荘に行くのを励みにするようになりました。その日のグループディスカッションのメンバーとそのまま飲みに行ったりすることもあり、純粋に就活を頑張るといったことは、どうにもできなかったようです。
就活の場所はたいてい都内で、新宿、池袋、品川あたりの知らない雀荘に行くのは楽しく、細かなルール説明に対しても「なにか変わったルールはありますか」と聞いて済ますほどには、雀荘慣れしていました。
そんな私にも大学4年の5月に内定が出ます。その後は、残された大学生活をいかに楽しむか、卒業ギリギリの分しか申請しなかった単位をいかに確実にとり切るかということに注力する生活になりました。ただし、楽しむためにはあまり授業には出たくないし、でも卒論も書かないといけないし、合間に麻雀はしたいしという葛藤のなか、なんなら卒業できない方が、自由な時間は増えるという誘惑にも駆られつつの日々でした。
このまま4年で卒業できて、内定を出してくれたその会社で働く未来はあるのだろうかと、半信半疑でいた自分に、忘れもしないその年の11月1日、天啓が訪れます。内定式なるイベントに出た私は、その会社に入社することを疑っていない周りの内定者より、かなりローなテンションで過ごし、帰りはもちろんその街の雀荘に寄ります。
そこで、5万点越えの連荘中の親番のことでした。理牌をしても切る牌がないのです。
平和型の天和でした。
その雀荘からの帰り道、私は思いました。天和に導いてくれたこの会社に入ろうと。なにかの順番が間違っている気もしますが、池袋の夜道で感じた気持ち、その時の情景を今でもありありと思い出します。
次回は麻雀とのお付き合い、社会人編です。