麻雀とのお付き合い④
今から約20年前の大学生活は、かなり緩めで、少ない時は月に1,2回しか授業に出席しないという状況ながら、3年生まで、なんとか毎年30単位程度は取得していました。
その頃、麻雀は大学の5〜6人の中から面子がそろえば、八王子の雀荘で朝までセット、空いている時間は八王子か地元のフリーに行くというのが主でした。フリーに行っているのは仲間内でも少なくて(他にそのうち雀荘のメンバーになる程の女子もいましたが)、経験を積んでいる分、セットではなかなか負けないようになりました。差はいわゆる棒テン即リーを徹底できるか、相手のリーチにどこまで踏み込めるか、適切なタイミングでオリにまわれるか、だったと思います。お酒もよく飲みましたが、麻雀とお酒は両立させないようにしていました。
セットであまり負けなくなると、その分負けがちな友人も出てきて、だんだんと煩わしく感じ始めたのが、勝ち負けに伴うもののやりとりでした。大学の近くに住んでいて、よく寝泊まりもさせてもらって、なんなら自分の方がその家にいるんではないかという、勉強にもバイトにも励む友人からも、麻雀経由で「お気持ち」までいただいてしまうのは、人としてどうなのかと。友人との適度な関係性が保ちづらくなるということもありました。
麻雀のことだけでなく、その頃は人に甘えて生きている感じが強く、自分なんてその程度のものだと受容しつつも、日々少しずつ自分を見下し、やや自暴自棄になっていたように思います。
それでも麻雀はひたすら楽しく、自分がそう感じるのは、多分に数理的なところにありました。無限の牌姿から、次のツモを生かすべく、最適な牌を切ろうと頭を使い続けること、何が正解だったのか、検討することも楽しく、セオリーを覚え、それを適用すること、そこから外れたことも試してみるといったことに脳が快感を覚えていたのだと思います。
幼い頃から、周りよりも娯楽が少ない家庭で(中学生まで、テレビは大河ドラマと「大草原の小さな家」のみ視聴可、ファミコンの類は無し)、最も楽しみにしていたのが、早朝に新聞が届くと玄関に座り込んで、プロ野球の記録の欄の数字の変遷を見続けることであったあたりも、数字の組み合わせの巧拙を競うゲームに魅力を感じるということにつながっていたのかもしれません。
就活という言葉が聞こえ始めてくると、少し生活に変化が起き始めてきますが、そのあたりはまた次回。