シュガートーストと洗濯とハーブティー。
現在の職業、【無職】。
就業不可の診断を下され、全般性不安障害を治療中の私は、職業:【家事手伝い(療養中)】を自称(笑)している。ただし、【家事手伝い】を自称し始めた頃(2019年7月頃だろうか)、それを言えるほどには、手伝えてはいなかった。せいぜい、母が洗ってくれた家族全員分のお皿を拭いて食器棚に戻すか、自分が使ったコップを洗うくらいのものだった。
メンタルの病というのは本当に不思議だ。脳の誤差動といわれるだけある。
私は、手順がよくわからなくなるという症状が強く出ていた。
たとえば食事の際、目の前にあるお椀に入った米を食べるのには箸を使えばいいのか?それとも、(今そのエピソードを思い出してみると、おそらくシチュー用にと用意してくれていたのだろう)箸の横にあるスプーンを使えばいいのか?そもそも箸ってどう持つんだっけ?
たとえば、洗面所に居た際、「お風呂場に干してある洗濯物、もう乾いてる?乾いてたら畳んじゃいたいんだけど」と母に聞かれる。洗濯物を触ってみても、わからない。答えられない。判断できないのだ。もう畳んでいい段階なのか?そもそもどう畳めばいいのか?ハンガーは?洗濯ばさみはどうするんだっけ?
特に困ったのが、「あなたはどうしたい?」。そういった類いの問いには、一切答えられない。「わからない」のだ。まるで、考えられなかった。
そんな状態の自分が、本当に嫌で堪らなかった。
嫌で嫌で、自分の頭をかきむしりながら、時に殴りながら泣いた。「わからない、わからない」と蚊の鳴くような声で。「わからない」だけで、だ。何がわからないのかもわからなかった。たんこぶが出来て、痛かった。
そんな私に、当初両親はとても戸惑っていたと思う。
父は、ため息をついてから無言で自室にこもってしまうこともあった。母は、「私だってあんたがどうしたいのかわからないよ!心を閉じないで言ってよ!!」と揺さぶってくることもあった。それでも、ただ泣きながら「わからない…」としか言えなかった。
それがそのうち、治療をすすめていく中で段々と…本当にゆっくりと、「コレはちょっと嫌」「そういうのは不安になる」と主張できるようになってきた。それに対して両親も、段々と歩幅を合わせるようになってきてくれた。とても、心強かった。
2019年3月に診断名がついたわけだが、家族では両親と、その他はごく少数の(事前に会う約束などをしていたり、それを反故にしてしまって迷惑をかけてしまったりした)友人達以外には、ずっとそのことを黙っていた。隠していた。
理由はただひとつ。
情けなかったから。
そして2019年8月の始め頃、祖父のもとに会いに行った。祖父とは3月以降も、ことあるごとに電話でのやり取りをしていた。調子の悪い時は電話に出ず、調子の良いうちに電話をかけなおす。祖父を騙しているようで、ずっと罪悪感を覚えていた。
その祖父に、8月のその日打ち明けた。
「おじいちゃん、実は私ね、不安障害っていうメンタルの病気なんだって」
祖父は、一瞬驚いた顔をしたものの「そうか!…頑張りすぎたんだな!良い!休め休め!」と、そう言ってくれた。(後日談として叔母には、おじいちゃんは孫がまた自分のそばで暮らしていることが嬉しかったんだと思うよ😅と言われた。笑)
-実は、私はメンタルを病む家系にある。
私の知っている限りでは、前述した叔母もメンタル疾患を診断されたことがあり、今も時々、言動を見ていると「あれ?いま病みの世界に片足突っ込んでます?」と思うことがある。
もう亡くなってしまったが、祖母も亡くなる直前までうつで苦しんでいた…。
私が自分自身におかれた状況をようやく言えたその日、祖父はこんなことも教えてくれた。
祖父自身もサラリーマン時代に同期達から置いてけぼりをくらい、仕事はうまくいかず、、一度ノイローゼになり、死すら考えたことがあるらしい。また、伴侶である祖母が亡くなってからしばらくも同じような状態にあったとのことだ。
祖父の母、私の曾祖母も、私が生まれるずっと前に一時期ノイローゼ気味だったことがあったと思う…と話してくれた。
そして、祖父(祖母には生前にコッソリと告げていた)と叔母には告げていないことではあるが、何より私自身が小学校高学年で【過敏性腸症候群】と【小児うつ】を診断されているのだ。
(付け足すと、祖父も父もお腹が弱い。笑)
…ここまでくると、劣性遺伝子が淘汰されてきた感が半端ない。w
そういった背景もあってか、家族の理解のハードルは、私が想像していたよりも少しばかり低かったようだ。祖父が受け入れてくれた時は素直に嬉しかったし、叔母に告げた時も「疲れが出たのよ~」と、まるで「今日○○のスーパーで卵が安かったのよ~でもギリギリ売り切れで買えなくてね~」とそのまま言いそうなほど、軽いテンションで受け止めてくれた。
少しずつ、私が自己主張できるようになるにつれ、父は「思う存分羽をのばせ!」と言いつつも、時々困ったような、なぜかちょっぴり嬉しそうな顔をして「穀潰しが!」と言ってきたりする。私はいつも「穀を潰すのも楽じゃないんだよ」と笑って答える。母に至っては「一旦独り立ちさせたと思ったけど、また親やおじいちゃんの近くに帰ってくるなんて、孝行な子だねぇ」と大真面目な顔で言ってくる。
そんなことを言われる度、申し訳無さと有り難さで、『そろそろ本当に、職業:家事手伝い(療養中)にならなきゃなぁ』と思っていた。
治療を始めて半年経ち、最近になってようやく"家事"らしきことの出来る範囲が拡がってきた。
家族全員分のお皿洗いやその片付けだけでなく、洗濯物の仕分け、洗濯機のスイッチを押して、合図のピロピロ~ンが鳴ったら干す。宅配便の対応をする。自分の朝御飯は自分で用意する。(最近は三温糖を使ったシュガートーストにハマっている。)自分の癒しも、自分で探す。元々好きだったハーブティーや紅茶とは、寄り添う時間が増えた。
両親共働きの我が家では、お皿洗いと洗濯さえしていれば、かなり、特に母には感謝をされる。母は、こと家族にはお世辞を言うタイプではないので、本当に感謝してくれているのかな?とちょっと嬉しくなる。
自己主張とは、"自分"が在ってこそできるもの。
逃げて逃げて、立ち向かってるつもりが実のところ逃げまくって、ジレンマに脳みそが疲れきって、私は"私"を迷子にしてしまった。
多分、私がわからなかったのは"私"自身なのだ。
でも、最近ようやく、自分はたしかにいま、ここに生きている。そう思えるようになってきた。
シュガートーストと洗濯とハーブティー。私の、日々のちょっとした日課的お仕事だ。
そして今日、両親が不在の為本当に久しぶりに夕食を自分で用意した。
夕食といっても、食パンにパスタソース(明太カルボナーラ味)と海苔とチーズをかけて、焼いてサンドにしたものと、お総菜の残りだ。これを『料理』と言っては、世界中の料理を作る皆様に怒られてしまうことだろう。それでも私には、なかなかな作業ではあった。しかし味に関しては、大したことないどころか、人生で作った料理(?)の中でベスト2くらいに不味かった…。元々料理は割りと好きな方だが、パスタソースにも海苔にもチーズにも食パンにも、大変無礼なことをしてしまったと反省している。
だから、次に何かを作るなら、もう少し手間と心を込めようと思う。何を作ろう?出来るなら、誰かのために作ってみようか?…そんな風に考えられることが嬉しい。何かを、少し先のことだろうと未来を想えることは、幸せだ。
過去にも、いまにも、未来にも、たしかに"私"はここに居る。
あまりにもしょっぱく仕上げてしまったパスタソーストーストを食べながら、馳せた。
【今日の勉強内容】
・スタサプTOEIC…10分
・スタサプEnglish…20分
・日本化粧品検定2、3級(テキスト読み)…30分
・美容成分キャラ図鑑…30分
明日、明後日は、父孝行&祖父孝行をする予定なので、その分をといつもより少しだけ頑張りました😳
ちょっとずつちょっとずつ。出来ることをひとつずつ。
おやすみなさい👋
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