北海道福島町青函トンネル記念館に潜水艇があった!
前回は青函トンネル北海道側の入口・知内町にある道の駅と周辺を紹介しました。今回は青函トンネルを掘り始めた北海道側の拠点であり、保守基地がある北海道福島町にある青函トンネル記念館を紹介します。
1.福島町は大横綱の出身地
福島町は知内町の隣にある町です。
今回紹介する青函トンネル記念館は福島町の中心部にあります。実際に青函トンネルへの保守用の入口、掘削時は開始地点となる斜坑は福島町の市街地から少し離れた吉岡地区にあります。
福島町にある道の駅は「横綱の里ふくしま」とあります。横綱・千代の山、千代の富士はここ福島町で生まれ育ちました。でも若い人には千代の富士と言われてもピンと来ないかもしれません。モデルの秋元梢さんのお父さんと言った方が理解しやすいでしょう。自分は千代の富士が貴乃花に敗れて引退した事をTVで見た世代です。道の駅そばに千代の山・千代の富士記念館があります。
知内町から青函トンネル(本坑)に入り、津軽海峡の海の下になる場所が福島町の吉岡地区です。
2.記念館の前になぜか潜水艇「くろしお号」
青函トンネル記念館に到着すると入口の最も目立つ場所に潜水艇が展示されています。道路側はアルファベット表記。
駐車場に入ると、「くろしお号 北海道大学」とあります。なぜ北大の潜水艇がここにあるのでしょうか?
その前に北大の豆知識が必要です。多くの人は北大といえば札幌市中心部にある大学という認識でしょう。確かに北大の本部は札幌にあります。でも札幌以外の地に学部が1か所あるのはご存知でしょうか?函館には水産学部があります。水産学部があるのは津軽海峡フェリーターミナルのそば、前々回紹介した洞爺丸慰霊碑からは車で5分かからない場所。という事で当然函館を拠点に研究します。
くろしお号と青函トンネルに何の関係があるのか、館内に入りましょう。
3.トンネルをイメージした建物
青函トンネル記念館の建物です。下の部分がシェルターの様に見えます。
まずは津軽海峡と人間の歴史についての展示です。
実際に青函トンネルの測量で使われた器具です。
実際に使われた道具や工事の写真が展示されています。
建物の奥に着くと、シェルターがトンネルをイメージして作られた事がはっきり分かっる展示になっていました。
青函トンネル開業してから北海道新幹線の工事が本格化するまで、トンネルの斜坑と本坑が交わる場所は海底駅になっていました。北海道側は吉岡、本州側は竜飛です。以前は吉岡、竜飛の海底駅の見学も申し込めば可能でしたし、自分も2回した事があります。しかし見学者の減少や新幹線の工事への影響があるので、現在は駅ではなくなっています。
ここで外にあった潜水艇「くろしお号」の写真やビデオが登場します。海底トンネルを掘るためには海底の地質などを事前に調べる必要があります。くろしお号は函館を本拠地に津軽海峡の海底に潜って調査しています。当時北大水産学部は潜水艇を持っていたので当然お声がかかります。なお現在北大は潜水艇を持っていません。
青函トンネル工事への多大な貢献という事で福島町が引き取ったのですが、くろしお号は青函トンネル、津軽海峡だけの研究をしていた訳ではありません。日本各地の海に潜りました。本来なら北大水産学部の敷地に展示した方が良かったはずです。
シェルター(展示室)は2本ある事が判ります。
掘削機の一部は屋内展示されていました。
屋外にも工事で使われたものが展示されています。
こちらも屋外展示です。
お土産コーナーに行くと、トンネルを題材にした羊羹がありました。
福島町の菓子店が製造しています。
他にもこんな地元土産がありました。
3回に渡り、青函トンネルシリーズで書いて来ました。最後鉄道ファンなのに「くろしお号」にこだわった理由は、元くろしお号艇長の授業を受けていたから。彼の授業で死ぬまで忘れない言葉は「マリンスノー」です。
ここまでご覧くださり、ありがとうございました。
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