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沖縄日本復帰50周年

本日5月15日は沖縄が日本に復帰して50周年。マスコミでは政治話が中心ですが、自分は航空ファンなので飛行機に関するお話を取り上げます。
ちょうどいい具合に、JALの機内誌にJAL赤坂社長がJALと沖縄に関して書かれていたので、該当箇所を取り上げたいと思います。

(転載開始)
本日のご搭乗、誠にありがとうございます。

1972年5月に沖縄が日本に返還され、今月で半世紀を迎えます。私が沖縄と聞いて思い浮かべるのは、実は青い海でも白い砂浜でもなく・・・・・・那覇空港の格納庫です(笑)。

(中略)

 さて、「JALグループ×沖縄」といえば、沖縄生まれ・沖縄育ちのJTA(日本トランスオーシャン航空)とRAC(琉球エアーコミューター)です。40以上の島を持つ沖縄にとって、島々を結ぶ交通網の整備は返還前からの悲願でした。こうして1967年、日本航空と地元企業との合弁でJTAが誕生します。当時の名は「南西航空」。座席数40席のCV-240と9席のH-18という小さなプロペラ機3機でスタートし、翌年には約60席のYS-11を導入。赤とオレンジのエネルギッシュなカラーの機体で、物資輸送や医療関係者の往来など、沖縄の方々の生活を支える事になりました。
 そして沖縄返還後の1978年、JTAは、滑走路長の問題から難しいとされていた離島へのジェット機就航を実現させました。プロペラ機の倍以上のお客さまを短時間で輸送出来ることとなり、島々の行き来はより便利になりました。またジェット機の持つ高速性と航続距離によって、本州などとの航路も次々開設され、その後の離島観光の礎か築かれました。
(以下略)

(転載終了)

写真は那覇空港で撮影したサクラジンベエです。JTAは現在JALと沖縄県が主要株主の会社。沖縄とJALの歴史を今日は振り返ってみました。

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