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あれから、10年と4年と1年。
●あれから、10年
あの日から変わらず苦しい日々を過ごしている人にとって、10年は想像できない長かった年月であると思う。あれから、10年。今後も続いていく日常のなかで日本中から今一度想いが寄せられた日、2021年3月11日。
10年前の3月11日。お台場での勤務中、グラグラと揺れて迫ってくる隣のビル。25年前阪神大震災に遭遇した自分にとっても、レベルが違う長さでの大きな揺れ。揺れが終わりきる前に、災害発生時の夫婦の約束事だった電話のラインを確保し、船橋のららぽーと東京ベイに買い物に行っていた妻は下の娘とともに安全であることは確認。上の娘を幼稚園に迎えにいくとのこと。
オフィスの広いフロアの中心のテレビが映し出す惨劇。港に押し寄せる津波が車を飲み込んでいく、その中に確実にいる人も含め・・・。原油の備蓄基地では火事が発生し、規模は違うもののお台場でも火事が起きている情報が届く。船橋のららぽーとも海沿いにある。再度確認の電話を入れると何度電話をしてもつながらない。上の娘の幼稚園にもつながらない・・・。
午後5時に決意して、お台場から新浦安まで歩き始める。電車は当然のように動いていない。何度も電話をかけるがつながらない。当初はタクシーを捕まえようと何度も車道のタクシーの空車を探すが、すぐに無駄なことに気づく。新浦安までのほぼ一本道、渋滞で車がほとんど動かないのだ。革靴・スーツでの10キロは想像以上に体力を削り、足が重くなる。この間も電話はつながらない。妻と下の娘はまだ連絡つかなかったものの、津波自体は船橋では被害がなかったので一安心しつつ、一人で不安に待つ6歳になったばかりの上の娘の姿が目に浮かび、必死で重い足を動かす。
やっと葛西臨海公園を抜けて、右側にディズニーランドが見えてきた。普段の自転車や歩きではなんでもなかった、旧江戸川を渡る舞浜大橋がいつもより勾配がきつく感じたその時、いきなりつながった。何十回目かになっていて、期待せずにかけた電話がつながったのだ。妻とつながったその電話から、すでに娘二人と近くの小学校に避難しているとのこと。安心とともに力が一気に抜ける。渡りきった大橋の階段を降りる一歩一歩に難儀して、革靴で歩いてきた足が限界にきていたことを認識する。ディズニーランドの横を抜けているとホテルが無料で毛布や避難場所を提供していて、疲れを癒そうと小休憩をとると、全く動けなくなってしまった・・・。
●その後6年、今から4年前
東日本大震災は、それまで効率的な企業コミュニティのなかにいた企業人にとっても、直接の被害の大小に関わらず社会に目を向ける契機になった。その後6年、今から4年前。社会課題とビジネスをつなぐALIVEを立ち上げたのも自分の中にあった、この意識と無縁ではないと思う。
ALIVEの、ある答申先の言葉「東日本大震災などの災害は、一番弱いところを狙い撃ちする」。農業・漁業、部品の下請け、高齢者、そして原子力などのエネルギー・・・。自分は恩恵を受けていながら目を背けてきた事実に、目を向けざるを得ない。大企業は、密接に関わっていたこれらの社会の課題をあたかもなかったかのように外部化することで、効率的にキャッシュを生み出す仕組みを維持してきたのか。
当時自分の中で解像度がここまでくっきりしていたわけではないが、答えのない社会の課題に企業の次世代リーダーが出会った時に夢中になる様を見て、何かが自分の中でスパークしたことを覚えている。社会の課題とビジネスをつなぐことをライフワークにすると4年前感じたのは、あたかもプレートが地下で長い期間かけて動いてきたような、その前の6年があったからのような気がする。
【ALIVEとわたし】庄司弥寿彦(庄ちゃん)
●そして、想像もつかなかった、この一年
コロナがまだ一時的なものである可能性を信じたかった一年前。全国一斉休校が決まり、緊急事態宣言が出て、オリンピッきが延期された、想像もつかなかった、この一年。
東日本大震災で一時的に向いた社会への目も9年経つ中で、地下奥深いマグマのように潜伏。社会全体では格差が喧伝されるのと反し、大企業はその痛みをうまく吸収しアベノミクスを謳歌する中で、社会の課題がどこか他人事のようになっていた面もあったかもしれない。そこに突然起こったコロナ禍。世界的に生産活動が止まる中で、規模の経済を回した効率的な大企業の仕組みが逆回転。リモートワークの中で、すべからく社会の痛みを感じたこの一年。
ALIVEもオンライン対応を迫られたものの、ありがたいことに過去最大の参加人数を更新。企業の中で、社会の課題につながることが見直されてきていることも一因だと感じている。
高度成長モデルに適合した、企業という一つの大きなコミュニティが圧倒的に強く、社会と他のコミュニティと個人が見過ごされてきたかのような、これまでの日本。明日も明後日も人知れず東日本大震災の痛みをいまだ感じている人の存在を想いながら、社会の課題とビジネスがつながり、世の中にインパクトをもたらしていく。そんな今後の10年を、一歩一歩作っていきたい。
企業の次世代リーダーが社会の課題に出会ったときに
ALIVEで次世代リーダーが夢中になるワケ
社会課題が大企業とつながらない二つの理由