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私とヤドカリと旅と
初めての家族旅行
沖縄へ飛ぶ
今でこそ、無類の旅好きになった私だが、そんな私にも初めての旅がある。私が初めて飛行機に乗ったのは、小学校一年生の時の沖縄旅行だった。
当時の私は、ピカチュウジェットに乗りたかった気持ちはあるものの、普通の飛行機に乗り、"オキナワ"が何かよくわからないまま沖縄に着いた。
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タランチュラを見たことや、シーサーの絵付けをしたことなども覚えているが、今でもしっかり記憶に残っているのは、水納島という島でヤドカリを捕まえたことだ。
ヤドカリをとおして、「腹をくくる」を覚える
小さい頃の私は、それはもうネガティブで、常に最悪を想定していた。石橋はとにかく叩いて叩いて叩きまくり、試しに何人か通してから渡りたいレベルの子供だった。
そんな冒険が怖かった私が、変わるきっかけとなったのがそのヤドカリである。
水納島の海の家に買い物行っておいで、と親に送り出されて知らない土地の知らないビーチで、何かを買っていた時のことだった。
貝が動いたのである。貝からちょこんと顔を出して、砂浜を少しずつ進むその生き物を私は図鑑で見たことがあった。
ヤドカリだ。
見つけた喜びと、どうしようという迷い。親に見てほしい期待と、ハサミとかあったらケガするかもという不安。
夏真っ盛りのビーチには、ケガしたらどうしようと頭を悩ませる私を横目に、ポイ捨てされたビールのプラカップが落ちていた。
それに気づいた私は、誰が口つけたかもわからないそのカップを小さな手に抱えて、人生で初めてヤドカリを捕まえた。
地元のお祭りの鮎の掴みどりでは、鮎の泳ぎは早いし、感触のヌメヌメが嫌で、死んだ鮎しか捕まえられなかった私。そんな私が、ヤドカリを捕まえたのだ。
私の高揚感はもちろん、親が非常にびっくりしていたのを覚えている。私がビビリなのを、親はよくわかっていたから。
親がおそらく1番感動していたので、そのヤドカリははるばる沖縄から仙台に持ち帰られた。うちにはカメもいたが、ヤドカリは臭いが気にならないからか、リビングのブラウン管のテレビの上に置かれていた。
私もソーセージをあげたりして、私なりに可愛がっていた。
そのヤドカリが母の誕生日に死んだ後は、家のすぐ近くの沼の近くに埋めに行ったのも覚えている。
もう20年以上前なのに、こんなにありありと覚えているのは、やるぞ、と挑戦することに対して腹をくくった原体験でもあるからなのだろうと思う。
初めての海外旅行でも腹をくくった挑戦をしたし、何もかもが怖かった私は旅を通して世界の面白さを知っていった。
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旅をやめられない私のこれから
挑戦の先にあるこの面白さこそ、旅の醍醐味だと感じている。
私の常識をいつだって斜め上にぶち壊して、私の知らないところにこんな面白いものがあったなんて、と感動とワクワクに出会えるから。
今年、小学1年生ぶりに沖縄本島に行った。あの頃とは違って、気心の知れた友人たちとダイビングをしに。透明度の高い海で何も考えないで漂って、魚たちと戯れて、友人たちと外からは見えない海に触れた。
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大人数の友人たちとのダイビングは久しぶりだったが、こんなに誰かと潜るって楽しかったっけ?と思えるくらい充実していて、新たな発見があった気がする。
さて、次の旅はどこにしようか。
「隙あらば海外」の肩書きを背負った学生生活を通り過ぎ、コロナに耐えた社会人生活。
次は、暮らすように旅をする。知らないどこかにしばらく滞在して、また次のところへ行く。そんな生活がしてみたいなとぼんやりと考えている。