映画レビュー「カムイのうた」

 文化を守ることが人間の尊厳と民族の未来を育む——文化や文学の重要性を再認識させられた映画だった。この映画は、「カムイ」という言葉からもわかるように、アイヌ民族の口承文学であるユーカラを初めて日本語に訳して出版した知里幸恵(1902~1922)という実在の人物をモデルとして描いた物語である。「カムイのうた」とはユーカラのことだ。彼女が訳したユーカラは今も『アイヌ神謡集』というタイトルで岩波文庫から購入できる。

 あらすじはだいたい以下のようなものである。主人公の北里テルは小学校を優秀な成績で卒業し女学校への入学を目指したが、成績優秀でありながらアイヌであるがゆえに入試が不合格となる。その後アイヌ人として初めて女子職業学校に入学が許される。しかしその学校生活は、小学校から相変わらず差別に満ちたものだった。同級生に「隣にいたくない」だの「くさい」だの陰口を叩かれいじめ・差別を受けたテルは、大変な思いをしてようやく進学できたことを喜びとは思えず辛い毎日を送る。あるとき、母親代わりの伯母のところに、東京から言語学の調査をしている大学教授の兼田先生が訪れた。伯母のユーカラを聞いた兼田教授が「ユーカラは世界に唯一無二の優れた伝承文学です。世界に誇れる文化を持った民族なんですよ、あなた方は」と熱意を込めて語るのを聞き、テルはいつも差別を受けている自分たちアイヌが誇れる存在なのだと自己肯定感を強めることができた。その兼田教授からユーカラをアイヌ語(アルファベット)で文字化し日本語訳をつけるよう言われ、自分の使命のように取り組んだ。その作品の完成度が予想以上に高く、さらに兼田はテルを東京に呼び寄せ本格的に出版の準備をする。持病の心臓病が悪化し作業が中断することもあったが、何とか原稿を完成させ、完成したその日に亡くなってしまう。ラストが残念な結果に終わるが、アイヌの文化を文字に残すという大事業をやり遂げたことで未来につながる結末が感じられた。

 カムイのうたの内容というよりも、主人公が生きた大正時代のアイヌの差別・迫害の歴史がテーマとなっていて、その中で主人公がカムイのうたすなわちユーカラを文字化して後世に残した功績がクローズアップされている。この時代、アイヌは名前も言語も奪われ和人に同化を強いられていた。現在の政府が唯一日本の先住民族として認めるのがアイヌである。当時は日本国内における植民地で、日本のいろいろな地域の人たちが北海道に移り住んだ。それはアイヌから見れば自分たちの土地や財産を奪われることと同義だった。映画では、明治期のアイヌの強制労働の場面が出てくる。雪の中で鞭打って荷物運びを急かし、倒れて亡くなった者は雪に埋める。仲間の墓を掘るアイヌの男たちはどんな気持ちなのだろうか。自分たちの先祖である「和人」の仕打ちがこれほどひどいものとは知らなかった。他の場面で、主人公のテルの妹が「生まれ変わったら和人になりたい」と発言している。それを聞き姉のテルは悲しく思うが、裏を返せばそう思わざるを得ないほど、アイヌへの差別が激しかったということだ。この妹はあとで和人に殺されてしまう。また、テルの相手役のアイヌの青年一三四(ひさし)がいて、その弟が和人の仲間になってアイヌの先祖の墓荒らしをする。兄が墓泥棒の一人を捕まえると自分の弟とわかってびっくりするが、その弟は、「和人になりたかったんだ」と泣きながら言う。テルの妹も一三四の弟も、変節してアイヌをやめねばならぬほど追い詰められていたのである。暴力的な場面はあまりないが、彼らの言葉から差別の壮絶さが伝わってくる。

 私が一番心を打たれた場面は、何といっても兼田教授がテルとその伯母に、ユーカラがいかに素晴らしいかを語る場面である。兼田教授は和人でありながらアイヌに敬意を払って接する登場人物である。その彼が、文字をもたないアイヌが口承で受け継いでいくユーカラは世界で唯一無二の文化であり、アイヌが世界に誇れる存在である、と熱弁をふるうと、主人公のテルは自己肯定感を得てアイヌを誇りとして生きることに希望を持つようになる。文学研究者の自分にとって、文学が生きていく上でなくてはならないものとして描かれることは、自分の研究の価値が再認識できるいい機会となった。研究のモチベーションにつながった。
 また、あまり知られていないアイヌ文化がふんだんに盛り込まれているのもこの映画の大きな魅力の一つだ。ユーカラの伝承者である伯母の口の周りの黒い入墨はインパクトがあった。死者を土葬する慣習やその墓標に雪をなすりつけるのが哀悼の意の表現であることなど、葬儀に関わる文化も登場する。また、ユーカラを歌う場面は、「座の文学」を想起させた。アイヌの近隣の者が集まって伯母にユーカラを歌ってと頼む場面があったが、そこでは伯母にお願いするそばの人たちもバチを持ち、囲炉裏端でバチを叩いてリズムをとることでユーカラの歌に参加するのである。ユーカラの歌詞は自然にカムイ(魂)が宿っていることを歌い、アイヌの人たちの人間と北海道の自然との関わり方の独自性も興味深かった。
 最後の場面で、主人公のテルは東京の兼田宅で出版原稿の校正作業を終えたまさにその日に亡くなってしまう。北海道で暮らしていた時から胸に持病を持っていたのだが、住み慣れた故郷を離れ、自然と全く触れ合えず兼田夫妻以外に知り合いのいない東京の生活はさぞかしストレスが多かったに違いない。今の時代と違って移動に時間がかかりスマートフォンのような便利な機器もない。梅雨の気候にテルが苦しむ場面があり、東京に気候が合わないことも亡くなった原因の一つのように描かれている。そういう意味では、兼田教授ももしかしたら、彼女の心を救う反面、彼女の加害者でもあったのかな、と感じた。

 まずアイヌについてもっと知りたい。関心を持ち続けたい。私の眼を開いてくれた映画だった。

 

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