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写真のフィルター選抜に浸る世界観とノーマルの拘り
色々なフィルターにこれは良いと感じることはあっても、ノーマルでみる風景と違うことに美しくないとか現実色が好きでないからフィルターに浸る世界観は『皆が豊かになるように』とiPhoneに元々備えられている。
TV番組はノーマルに近く、放送してる側なので視聴者にとって見やすいように編集して提供しています。
フィルターを使用してると現場の生食品が生物に近づくので自然な美しさとは異なります。
例えばスポーツ番組をもう少し良く映そうとしてフィルターを重ねて放送していると視聴者は見やすいでしょうか。
ノーマルにこだわり続ける写真コンテストの開催は美しいでしょうか?
それはそれで個人の美的感覚の自由になります。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/112682312/picture_pc_f75592244e089f34bed08da8383418e9.png?width=1200)
左は縮小した木/右は拡大した木
写真を見ていると2つは同じ木ですが色と形が違うだけで情報はそれぞれに違うというのは何だろうと考えていました。少し配色が違うだけで、別の情報になる。
5W1Hの情報を変えるだけで、写真の意味も違ってきます。
写真をスライドすると一つの情報が枠で区切られています。
データバンクに保管されている膨大な情報のひとつなぎや一体感はどこにあるのだろうか。
衛星データに送信してデータ保管庫(情報バンクだったかな)に移動する。それらは何によってひと繋ぎになっているのかというと情報は一旦計算機に集まっている。