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よんごひんご日記《8.26-9.1》 

26日(月)
台風接近。今からもう考えるだけで気が滅入る。何度も何度も天気予報アプリ5個と気象庁HPをハシゴして進路予報に一喜一憂してる(大して変わらないのに)。そわそわしてる。周りの人の反応を見ては、こんなに心配してるのは自分一人だけじゃないかと勝手に疎外感を感じ、呑気でいいなと変に攻撃的な感情も湧いてくる。これが疲れる。そして尾を引く。ニュースは散々煽ってくるが、それを見ると動悸がして不安で全身が脱力するような感覚になるから、「何かあった時のための保身のためにメディアも気象庁も大袈裟に言ってんだ」と言い聞かすことしか出来ない。情報から離れるのがいいのは解るけど、知ってないとより不安になる。

27日(火)
先延ばしにしていることがある、向き合いたくないから。どうにも向き合わないといけないシチュエーションになりかけてから、ひどく憂鬱になって、「どうか今回だけは何事もなくやりすごせますように」と運任せにしてる。幸いまだ不運に見舞われていない。まだ。

28日(水)
「天災は忘れた頃にやってくる」って言葉を知った小学生のころ。誰かが「いま地震かも」とか「地震に備えてこれ買っとこう」とか「地震きたら嫌だなあ」とか、昼夜問わず日本中の誰か一人でも「地震」のことを考えている間は地震は起こらなくて、日本中のみんなが一斉に「地震」のことを考えないエアポケットみたいな瞬間に地震が起こると思ってた。そういう意味なんだと。うるさい自習の時間にみんなが黙って一瞬静寂になるみたいな、あの瞬間に地震が起こるって。だから地震が起きないようにぼくはずっと地震のこと考えとこうって密かに実行してたことを、シャワー浴びてるとき思い出した。そんだけ。

29日(木)
周辺では想像していたよりも台風被害はなくて、ほんとにホッとしてる。疲れた。 仕事始めてから、精神的肉体的疲労がいままさに絶賛蓄積中みたいなとき、「これが済んだらアレやろう」と、いくつか人参ぶら下げて踏ん張って来たけど、いざ嵐が過ぎ去ると、解放感と安堵感と疲労でいっぱいで、やっぱりアレいいやって思ってしまう。今もそう。

30日(金)
病院の待合室の隣の席で、独り言の多い70代くらいの男性が問診票を書いてた。ぶつぶつ言いながら書き終えると女性の看護師さんが来て、問診票を一緒になぞり始めた。飲んでる薬は?手術したことは?全身麻酔だった?腎臓は?〇〇は?? 他にも色々聞かれていたけど、それを聞いてる途中から「体の不調の種類っていっぱいあるんだな」って、年取るとおれもこうなるのかなって不安になってきた。。もうこの病院に通うのも先が見えてきたし、今はとりあえず健康の部類だと思うんだけど、これって幸せなことなんだな。きっとそうだ。幸せ(仮)。

31日(土)
パラリンピック。テレビ中継ない、TVerも。Youtubeで観れたからよかったものの、ライブ視聴者数、全世界でこんだけかって感じで(外国ではテレビ放送あるかも)。にわかもにわかの分際で言うのもなんだけど。 ひょんなことから知って、かっこよくて魅せられて、本も読んで。性格が違いすぎてほとんど共感できなかったけど、年も近いし応援したくなって。それがこの1年ぐらいだから、ほんとにわか。この4年(3年?)をずっと線で見てたわけじゃなく、今日だけの点でしか見てなくて申し訳ないんだけど。。 いま終わった。ずっと自分と向き合って鍛錬してて尊敬します。お疲れ様でした。

1日(日)
展示会。先週のこと。スーパーに貼ってあったポスター見て気になって行ってきた。 大混雑で、老若男女特に子供多かった。作品はホント緻密でかわいくてストーリーがあって。葉脈を利用してる作品をまじまじ見てしまう。中央の葉脈を大地に見立てたり、場面転換に使ったり、太くてしっかりしてるからデザインに自由度を与えていたり。煩わしい制限を制限のままで終わらせず、むしろその中で発揮されるイマジネーションが楽しくて、これ思いつくの楽しいだろうなあと思いながら見た。 あと、今の作風にたどり着くまでの試行錯誤の時期の作品まで展示してあって、これがなんかすごく良かった。作品がよかったのもあるし、これだってものにいきなり出会うわけじゃないんだなってのが、なんかいいなって。語彙力求む。

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