よんごひんご日記《10.21-27》
21日(月)
「朝まで呑む」「シメにラーメンを食べる」「記憶がなくなるまで呑む(どうやって家に帰ったかわからない)」は、やったことないなあ。「酔った状態で町を歩く」は、一度コンビニでストゼロ飲んでやってみたことある。「別に」って感じだったかな、その時は。あとのやつは、別にもうやってみたいとも思わないけど。経験しといても良かったかなとは思う。
22日(火)
雨。歯医者に着いたとき、結構な勢いの雨だったけど、ハンドタオルを頭に乗せ、「えいっ」と車を出て、やや早足でちょっとした水たまりは軽快なステップで越え、建物の入り口までたどり着く。 ずぼらな人の家の傘立てには、傘がいくつもある。という話を聞く。都会の話だなぁと思う。 車社会では、だいたい建物の駐車場に着けば、「えいっ」で行くはず。どこに行くにも車。マップで「徒歩17分」と表示されると都会の人は歩くらしい。旅先ならいざ知らず、日常では「車で何分?駐車場ある?何台停められる?」とか考えるし、「あー、右折で入りにくいから、ぐるっと回って左折で入らんといかんわ」「信号のある交差点の角は出入りしにくわ」と憂鬱になったりする。都会の人って家電量販店でプリンター買ったら、でっかい袋に入れてバスに乗るの?ネギ買ったら、袋からひょんとネギを出したまま地下鉄乗るの?トイレットペーパー買ったら、下げたまま歩いて帰るの?
23日(水)
すこし前のVARの話。未だに子どものころから使ってる古いバージョンのままで今日も動いてるって話。バージョン2にアップデートする必要ありと。でも、どこでアップデートしたらいいのか分からない。とりあえず、こいつは古いバージョンで、おれのことまだ子供だと思ってて、やや大袈裟に心配してるぞ。と思うことから。
24日(木)
朝、シャワーを浴びる。あの、朝の気温とお湯の温度差と立ち上がる湯気の匂いのせいなのか、起き抜けの体にあったかいシャワーが当たる温度感なのか、なんとも言えない感覚が好き。ふだん朝、シャワーを浴びることはない。やるのは、旅先の朝だけ。だからホテルのシャワーと錯覚して、旅の高揚感を吸い込んでる気になってそう。
昼休憩。選挙ポスターを見に散歩に行く。ここ10年くらい?「この人がんばれお願い任せたい」より、「どうせあの人らなんだから、権力をしっかり監視追及できる人ら」、に投票した。なんだかあまり積極的でない関わり方な気がしているが、今回はちょっと違うかも。
雨合羽を着て仕事。フードまで被ると、パタパタと雨粒が当たる音がフードの中で響き、なんだかぼわんとした半透明の膜の覆われているみたいで落ち着く。(物理的に雨合羽に覆われてはいる。)現実世界と自分を切り離せる気がする。しばらくなにもせずぼーっと立ってみる。
25日(金)
ぼくの完璧主義は、責任から逃れたいから。確かに、完璧に出来ない自分を許容できない、完璧に出来ない自分なんて無能と思われてしまう。という不安は大きいけど。責任を取りたくなくて、出来るだけ責任を自分から遠ざけたくて、そのためには完璧である必要がある気がして追及してる気がする。 「不安」にも言えることだけど「責任」も、ちゃんとこの目で、この手で正確な姿形を捉えたことがないかもしれない。
26日(土)
ときどき、そんなザックリで生きてるの?そんなテキトーな感じで仕事してんの?あんなガサツでも結婚できんの?あんな無神経でも高級車乗れんの?って人を見かける。自分の四角四面さがバカバカしくなる。かと言って、自分がそうなりたいかと言えばそうじゃないし、そもそも同じようには出来ないし。自分のままで生きるしかないし。ひとつくらい角は落としていいのかも。
27日(日)
投票。新築の公民館が投票所になってから、はじめてあんなに大勢の人。いつも早朝に行くのに、九時半すぎだったからだろうけど。前に並んでいたおじいさん。「はい。」「ありがとう。」「わかりました。」と投票用紙を渡してくれる人に大きな声で答えていて、丁寧な良い人だとは思うが、静かな投票所にやたら響く感じが、判断を迷う。 「◯◯さん!」え?「◯◯党やね!」もしかして、心の声まで全部漏れるタイプの人? じゃあ裁判官に✕付けるやつ、なんて言うんだろう。その場にいた人たちみんな聞き耳と立ててる感じがした。「・・・。」何も言わないんかい。 近くの小学校の運動会。「天国と地獄」って今もをBGMなんだ。大勢の小学生の、揃ってはいるが聞き取れない掛け声をしばらく立ち止まって聞いた。いいなあ。敷地内は禁煙なんだろう、裏門を出たブロック塀沿いに煙草を吹かす保護者の風上に並んで見た。兄弟の中学生や未就学児もたくさん。ねえちゃんが中学のときの運動会、行ったなあ。出店の型抜きして遊んだなぁ。懐かしいなあ。
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