2021年(仮)
今回のテーマが「新しい年・2021年」ということで、まずは2020年がどのような年だったのかと思い返してみた。誰にとっても未曾有の事態、思いも寄らない年だったように思う。外に出なければならない用事が減った。他人と関わる機会が減った。これを受けて、今後の社会も大きく変わっていくのかもしれない。大学や企業は、リモートの利便性を活かした業務体制や授業体制も増えていくであろうし、大勢でない、一人での楽しみ方を好む人も増えたかもしれない。とはいえ、元来家で一人でいることを好む私にとっては、生活は大きく変わるものではなかった。そういう私の性質に加えて、社会では外出の自粛が良しとされた一年。突然与えられた多くの時間を新たなことに費やすこともせず(何をしようかと考えているうちに気がつけば年の暮れを迎えていた。)、普段一人になればすることに費やす時間を増やしただけの年だった。それでも特に不満はないが、満足もできないのが人間である(私だけかもしれないが。)。昨年がそういう年だっただけに、今年の私にはやり残しのないよう満足して2021年を終えてくれと願うばかりだ。不満はないと言いながらも、昨年を顧みればやり残したことも幾つかある。時間を持て余していながら、その時には気づくことのできなかったこと。まさに後悔先に立たずだと呆れてしまう。自分にできること、やりたいこと、やるべきことをするために、気持ちを新たにしていきたいものである。そして、一人ではできないことを堂々とできる世界がいち早く戻ってくることを願ってやまない。
どうやらこの状況はまだ続きそうである。大勢の人が家族や友人、恋人たちと近くで笑い合える日を待ち望んでいると思う。現状を悲観しても始まらないのだ。新たな一年。新しい会社、新しい学校、新しい学期。新しい土地、新しい環境。どんなにつらかろうと、時間は刻一刻と過ぎていく。誰にも平等に時間は降りかかる。気持ちを切り替えて、明るい未来を思い描いて、誰もが過ごしていければいいと思う。などとつらつら書きながら、ふと、随分昔に読んだ『赤毛のアン』のアン・シャーリーを思い出した。彼女には見習うべきところがたくさんある。彼女は持ち前の空想力で、どんな不安なことにも強くあろうとする健気な少女だった。今の私たちに必要なものは、彼女のような直向きさ、前向きさ、強さなのかもしれない。世間を取り巻く状況の暗さに飲まれず、苦境の中にも希望を見出だす。現実に負けないよう、状況を打破した先に空想したことたちが実現するよう。したいと思うことを当たり前にできること。それを2021年のささやかな願いとして、アンのように、ひたぶるに日々を送ろう。
『赤毛のアン』より、アンのテーマを聴きながら。