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子どもたちと離れたからこそ気づいた、子どもがもっている“チカラ”

この3月で、4年間勤めてきたスクールソーシャルワーカーの仕事を退職させていただいた。

「させていただいた」というのはもう本当にその通りの意味で。
同僚や上司からは最後まで「週1日だけでも・・・」とお引止めの声があり、関わっていた保護者からは嘆きにも似た声をいただいていた。

さらに、特に今年は長く関わっていた子たちの多くが、この4月から中学入学を迎えるという年。
彼ら彼女らの「中学からは学校行かなきゃな」「中学になったら行ってみようかな」の気持ちに寄り添えないのは、もどかしさを感じるのはもちろん、子どもたちに少なからず喪失感みたいなものを与えてしまうかなとも思ったり。

そんな状況だったので、沢山の人たちに迷惑をかけつつ後ろ髪を引かれる想いでの退職だった。
(退職理由については割愛するが、簡単に言えば、自分自身のライフミッションを見直したことと、自身に子どもができるなどのライフステージの変化によるもの)

この4月、5月は想像通り、正直どこかでムズムズを感じながらの日々。
毎週や隔週で会ってた子も多いから当然と言えば当然だけど、「あの子どうしてるかな~」というのもだし、「やっぱり辞めたのマズかったかな~」とふとした時に考えてしまうような感じのムズムズ。

そんな中、GWが明けて、保護者や後任のワーカーから立て続けに連絡があり、なんと気にかけていた子たちのほとんどが、入学式から休まず学校に行ってたり、自分なりに3月までに掲げていた目標を一つずつ達成できるように頑張っていると・・・!

なかには、出会った頃から3年以上学校に足を踏み入れられなかった子もいて。
「学校なんて何のためにあるのか分からない」と言っていた子も。

そんな子たちばっかりだったので、「友達できたよ、と嬉しそうに報告してくれました」という保護者からの連絡や、「入学式の呼名で、ホントにあの子?と思うくらいしっかりした返事をしてたよ」というワーカーからの連絡に、ただただ驚くばかり。

もちろん学校に通えるようになることがすべてのゴールなわけじゃないし、学校に通えてるからって何もかも大丈夫というわけじゃない。

けど、それでも3年間とか4年間とか関わってきた子たちが、新しい環境で一歩ずつ前に進み出しているような気がして嬉しくないわけがない。

と同時に、関わっていた時には「ホントに力になれてるのかな」とか「無理して会わなくてもいいからね(これはホントにそう伝えたこともあるw)」と思ってしまうくらい変化や動きがなかったのに、環境が変わることが大きな後押しにもなって、進むときには自分の力で前に進んでいくもんなんだなというのを改めて痛感している。

欲を言えば、自分の関わりが彼ら彼女らの中に何か少しでも届いていたらいいなと思う気持ちがないわけじゃないけど、きっと何年かしたら名前すらも思い出してもらえないような存在になるんだろうと思うし、まぁそれが本望なのかなとも思う。

これから先やっていくことも、すぐに結果が出るような話ではないけど、ゆっくりゆっくり畑の土を耕すような気持ちで取組んでいければなと思う。


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読んでいただきありがとうございます。子どものウェルビーイングのために事業を行う「認定NPO法人PIECES」の事務局長をしています。いただいたサポートはNPOの活動資金にさせていただきます。