一歩ずつ、一歩ずつ。

昨年、ある夏の日に書き留めた日記を、せっかくなのでnoteにも大切に保存しておく。

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久々に子どもの前で涙流してしまった。。

彼女との関わりは、彼女が学校に行けなくなってしまった2年弱前から。
何かハッキリした原因があるわけじゃないんだけど、両親のこと、出自のこと、先生との関係、友人との関係などが相まって行けなくなり始め、この2年間で学校へ通ったのは中学入学後の3日だけ。

学校には行かなきゃと思ってる。でも彼女の言葉をそのまま使うと、
「頭では分かってるけど、心がついていかない」

そんな気持ちで2年間をほとんど家の中で過ごしてきた彼女。
この間、家への訪問を続けて彼女自身が抱える生きづらさに耳を傾けてみたり、母子家庭でいっぱいいっぱいな故に当たりがキツかったお母さんを労い励ましてみたり、旧態依然で動きの鈍い学校の中にキーパーソンを探してみたり。。

少しずつ元気さは取り戻してきたけど、学校に通うには至らず。
無理して学校行かずに、他のところでもいいじゃん。そんな思いが当然こちらには湧いてくるんだけど、彼女の願いは、「行くんだったら、学校に行きたい」。

そんな彼女が、今日7か月ぶりに「学校に行く」と言い、実際に行くことができた。
いくつかの予兆はあったものの、見事な有言実行。

それだけでも嬉しかったが、この間通った3日間はすべて下駄箱→相談室への直行コースだったが、今日は相談室でしばらく過ごした後「ちょっと教室を見てみたい」と。

これまでの彼女を見てきたら、教室に近づくなどありえない。
思わず、「そんな無理して近づかなくていいよ」と言いそうになるのをグッと抑える。

ただ当然そこからすんなりと教室に近づけるわけはなく、相談室から一歩出てみては戻ってきて。同じフロアにある教室まで、40mくらいの距離を一歩、また一歩。
なんとか半分くらいまで来たけど、もうそれ以上は進めず、もと来た道を引き返す。

30分くらいそんなことをして相談室に引き返し、だいぶエネルギーも使ったようだったので、「今日はいっぱい頑張ったね」と伝えると、「もう1回だけ行ってみる。教室の先にある水道で水飲んで、帰りにチラッと教室覗いてくる」

そんな言葉を言い残して、相談室を出る彼女。
「頑張れー」と「もうそんな無理しなくていいよ―」が心の中で複雑に入り混じりつつ、半分くらいまで一緒に歩く。
彼女が自分から「もうここまででいいよ」と言うので、教室まで20mくらいのとこで行方を見守る。

一歩ずつ、一歩ずつ。
後ろを振り返ることもなく歩いていって、なんと教室の前に到達。
そのまま予告通り、教室の先の水道にたどり着き、こちらを振り返る。

その時に見せてくれた達成感と充実感に満ちた顔に、もう涙。

水を飲んで、一呼吸おいて、少し小走りで戻ってくる。
高かった壁を自分の力で乗り越えていった彼女に心動かされて、声もかけれずにいたら、そんなこっちの様子に気づいたのか、あえておどけた様子で「水道の水、めっちゃぬるかった!」

廊下で声を殺して2人で笑いながら、相談室に戻っていったのでした。

これから彼女がまた学校に行けるのか、教室に入れるのかはもちろん分からない。
けど、今日のあの笑顔を見たら、何かが少し変わっていくような気もする。

2年間、対してなんもできずにいたし、他の人だったらもっと早く彼女の力を引き出せてたかもって気持ちはぬぐえない。こうやって少しずつ自分の力で乗り越えていく姿を見せられると、むしろこっちがエネルギーをもらっているようにも思う。

そんな複雑な気持ちにさせられる一日でしたとさ。

(2018年6月28日)

読んでいただきありがとうございます。子どものウェルビーイングのために事業を行う「認定NPO法人PIECES」の事務局長をしています。いただいたサポートはNPOの活動資金にさせていただきます。