「ビルケナウ」と「ヨシュア」
*この稿の大半は2022年時点、展覧会直後に書いていたものですが、公開せずにいました。2023年10月7日以降のガザとパレスチナの状況を受け、さらに2024年10月7日というタイミングとなりましたので、若干の考察を加えてアップします。
「ホロコースト」。世の中には「取り返しのつかないこと」が多々あるが、この事態が戦後の世界で、別格の扱いを受けていることに異論はないと思う。
2022年に東京国立近代美術館で開かれたのリヒター展の目玉である2014年制作の「ビルケナウ」(アウシュビッツ第二強制収容)と名付けられた、「4点の写真」、「4点の絵画」、それぞれの絵画の「デジタル複製」、「グレーの鏡」、からなる展示は、長年この主題を「私が最終的に片付けなければならない負い目」として取り組み続けてきたリヒターが、これをもって「もうこれ以上何も示さなくてもよい」(1)と感じたものだという。リヒターは1932年生まれであるから82歳にしてこの困難な主題に満足の行く解を得たと語り得る境地に行き着いたわけだ。
「ビルケナウ」制作後に本人の協力のもとに出版されたと考えられる”Gerhard Richter’s Birkenau Paintings(2016)”の著者で、リヒターと親しい関係にあるベンジャミン・H.D.ブクロー(Benjamin H.D. Buchloh)が本展覧会のために書き下ろした論考(前掲書を加筆修正したと見受けられるもの)によると、
1957年から2017年までの60年間にわたる、ゲルハルト・リヒターの人生と仕事に多くの不連続性と知的断絶があるものの、通底するつながりがいくつかある。その1つはリヒターがある疑問に幾度となく立ち戻っていることだ。 それは、ナチ・ドイツの支配下において行われたヨーロッパのユダヤ人虐殺と言う記憶を想起させる、信頼に足りうる表象を構築することができる芸術家などーそれがドイツ人画家だとしたらもっとあり得なさそうだがー果たしているのだろうか、と言う疑問だ。 リ匕ターの作品にはこうした関心事が持続している。(2)
とのことで、リヒターが「ホロコースト」の記憶を想起させる「信頼に足る表象の構築」を目的とした時に、同時に「ドイツ人画家」という自己のアイデンティティを意識し続けたことが判る。これは例えば「ゲルニカ」のパブロ・ピカソの立ち位置、被害者の同胞で明確なアンチ・ファシストとしての立ち位置、とは異なる選択である。彼は加害者である「ドイツ人」というアイデンティティを含み込んだ表現を模索し、さらに、戦後すぐにカール・ヤスパーズ、テオドール・アドノらによってなされ、現代に続く「ドイツ人」であることの責任論をも射程に入れることをこのプロジェクトの要素として考えたわけである。その複雑な立ち位置を含み込んだことによって「ビルケナウ」は「ゲルニカ」とは異なる境地に至り、それをして本人が最終的に満足したということなのだから、この作品はまさに希有な作品と言わなければならない。
この「ビルケナウ」の他、この時はゲルハルト・リヒター財団所蔵の作品を中心にした展示がなされたわけであるが、本稿では「ビルケナウ」とその後に続けて制作されたと考えられる「アブストラクト・ペインティング」の中で唯一名前がつけられていた「ヨシュア」を取り上げ以下論を進めて行きたいと考える。
●展示
この東京近代美術館での展覧では「ビルケナウ」に独立したスペースがあてられていた。そのスペースに入ると左手に「デジタル複製」(上図68)、右手に「4点の絵画」(上図64-67)、正面に「グレーの鏡」(上図113)、後方の一角にこの作品のベースとなった「4点の写真」(上図69)という配置になっており、まずは「4点の絵画」中心に全体を眺め、次に写真から順番に見直していくよう誘われる。
●「4点の写真」とモンタージュ効果
「4点の写真」は「1944年8月にアレックス(アルベルト・エレラ)という名の男によって密かに撮影されたもの」で、「彼は、アウシュビッツの収容所に捕らえられていたギリシャ系ユダヤ人で死体処理に従事していたゾンダーコマンド(特別労務班)の一員であった。」のだが、「死の収容所で何が起こっているのかを世界に知らせるために、命がけでポーランドのレジスタンスに密かに写真を渡したのである。」(3)
上記の情報を与えられ、写真を観ていくのだが、順に、フレームが定かではなく画面左隅に一群の人物を確認できる写真④、これもフレームが定まっておらず何か木立のようなものが写っているように見える写真③、死体焼却のシーンをフレームを定めて撮影できているのだが手ブレてしまっている写真②、フレームも定まりピントも定まっている写真①、と鑑賞するように誘われる。
この中で撮影者が目的の被写体を捉えているのは①②④、技術的に瑕疵のない写真は①のみであるから、①のみが写真として生き残り他はボツとされるのが通常である。貴重な証拠写真であることを勘案して②④を採用するケースもあるだろうが、木立のみの③は採用しないのが普通だろう。しかし、リヒターはそうはせず③も含め、4点をセットで展示している。このことから、ここでのリヒターの狙いは4点をセットで順列をつけて展示する*1 ことによるモンタージュ効果にあったと推察できる。
今一度右から順番に写真をよく鑑賞していただきたいのだが、この4点が構成するモンタージュ効果によって、写真機を扱った経験のある鑑賞者ならば、撮影者のカメラを扱う手つきやシャッターの音、撮影者の呼吸までも想像可能だと思う。特に④③は撮影者の置かれた困難な状況を想像させる。
絶望の中で使命を持ち得た撮影者=アレックス。展示者=リヒターは4点の写真のモンタージュ効果によってアレックスの撮影時の主観的時間を再構成し、見る者を撮影者=アレックスにシンクロさせ現場に誘うのである。リヒター自身もアレックスの視線と緊張感、使命感を共有することで、この一連の写真が表象する現場をより身近に引き寄せ得たであろうし、彼がこの4点のイメージを作品の土台に据えたのは、それまでのフォトペインティングにはない、撮影者の存在までを含み込んだ表現が達成可能であると考えたことにあるはずだ。
ブクローによると、これらの写真の存在に関してリヒターは少なくとも1967年の時点で知っており、彼の「アトラス」と名付けた同年の作品の中に④の写真を使用している。(4)*2 リヒターが1967年時点で写真の存在を知っていたとして、2008年に既知の写真に再度注目することとなったわけだが、どのような経緯であったか。
長らくこれらの4点の写真は周囲の黒枠部分を外す形でトリミングされ、角度などなどの修正が加えられ流布されてきた。ゾンダーコマンドから写真を受け取って収容所の様子を広く流布する目的を持ったレジスタンスの勢力からするとそれはある種の合理性を持った処置であったと言える。アウシュビッツで何が起こったのか?その貴重な証拠写真という趣旨での扱いならば、トリミングや修正は理にかない、その後もこれら4点の写真に対して継続的に取られた態度であった。
これが2001年1月から3月にかけてパリのシュリー館で開催された展覧会「収容所の記憶」において、元の形、今回の展示にある黒枠込みの形に戻され、展示されることになった。この復元によってこの写真を撮影した状況が可視化され、必然的に撮影したゾンダーコマンドに関心が向く。展覧会のカタログの論考でフランスの哲学者・美術史家ジョルジュ・ディディ・ユルベルマン*3が「知るためには自分で想像しなければならない。1944年夏のアウシュビッツの地獄が、どのようなものであったのかを想像してみなければならない。」(5 )とし、4点の写真を元にゾンダーコマンドの隠し撮りの現場を再現的に推察したのだが、これが大きな論争を呼ぶことになった。論争の詳細はディディ・ユベルマンの研究書「イメージ、それでもなお」(6)に詳しいのでそちらに譲るとして、ここではリヒターにも影響を与えたであろう写真の復元に関する彼の論旨の一端を紹介しておく。
ディディ・ユベルマンはまず写真①②に現れている黒い枠について、それがトリミングされ取り除かれてきた歴史に言及しながら以下のように述べている。
屍と焼却溝の光景を取り巻く黒い塊、何ひとつ目に見えないこの塊は、実のところ残りの感光した表面のすべてと同じくらい貴重な、視覚的刻印なのだ。何ひとつ見えないこの塊は、ガス室の空間である。つまりそれは戸外での、焼却溝の上でのゾンダーコマンドの仕事をあかるみにだすためにそのなかに身を隠さなければならなかった、暗い部屋である。この黒い塊がわれわれに差し出しているのはすなわち、状況そのもの、可能性の空間、ほかならぬこれらの写真の存在条件である。ましてや明るい「情報」(目に見える証明)のために「影の部分」(視野の塊)を切り落とすことは、あたかもアレックスが広々とした場所で落ち着いて写真を撮ることができたかのようにすることだ。これは彼が冒した危険と抵抗運動家としての彼の術作に対する、侮辱と言っても過言ではない。これらのイメージをトリミングすることで、資料(目に見える結果、明白な情報)は保存できると考えられたのかもしれない。しかしそれによって現象学が省略され、これらのイメージをひとつの出来事(ひとつの工程、ひとつの仕事、ひとつの肉弾戦)にしていたものすべてが取り除かれてしまった。(7)
彼はこの「黒い塊」がアレックスの状況、写真の存在条件を我々に差し出しているのだとし、さらに被写体を捉え損なったであろう写真③に関しては以下のように述べている。
最後の写真(写真③)に関して、単に「用途がない」ーもちろん歴史的に見てーと語られる際には、その写真がカメラマンについて現象学的に証言しているもののすべてが、忘れ去られてしまっている。照準を合わせることの不可能、課されたリスク、切迫、ひょっとすると駆け足、手元の狂い、太陽を正面に受けての眩暈、そしておそらくは息切れ。形式的に見てこのイメージは憔悴の極みにある。このイメージは純然たる「発話行為」、純然たる身振り、照準のない純然たる写真行為(だから方向も上下もない)として、アウシュヴィッツの地獄から四枚の破片がもぎ取られた際の、その切迫した条件へと、われわれを導くのだ。そしてこの切迫もまた歴史の一部なのである。(8)
ディディ・ユベルマンはこのように、写真がトリミングや修正のない姿で復元されたことで「カメラマンについて現象学的に証言しているもの」を想像していくことの意義を以下のように述べている。
「われわれには想像してみる義務があるのだ、このきわめて重い想像可能なものを。捧げるべき応答として、幾人かの被収容者が、彼らの体験の恐るべき現実から、われわれに向けてもぎ取った言葉とイメージに対する責務として。」(9)
ディディ・ユベルマンは「言葉とイメージ」と言っているが、それは復元された4点の写真のみならず、ボトルに入れるなどして埋められたゾンダーコマンドの手記に関する発掘・研究が進み、多くの証言が明らかにされた当時の状況を映している。それらテクストも含めた広いい意味での「モンタージュ」作業によって、展覧会「収容所の記憶」が開かれた時期以降は、ゾンダーコマンドの存在にも注目が集まったのである。*4
リヒターにしても既知の写真が元の形に復元された時点で纏うことになった新たな意味に少なからぬ関心を持ったはずである。4点の写真によるモンタージュ効果に着目し懸案のテーマに新たな道筋が見えたとこの時点でリヒターが考えたとしても不思議ではない。
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*1 もちろん当初どのような順番で撮影されたのか?は不明であり、この場合はリヒターによる後付けのモンタージュによる意味生成ではあるが、映像表現の世界で通常ポイント・オブ・ビュー・ショットを使ってなされる効果を4枚のイメージを並べて提示することで可能にしたわけである。リヒターはアトラスでこの4枚の写真を幾通りかの並べ方で展示しているが、本展示では上図の並びでの展示としている。
①②は6X9または35mm、③④は6X6のフォーマットであるように見えるため別々のカメラで撮影されたように考えられるが、これに関してはそれを指摘した関係資料が今のところ見当たらないため、個人的な推測としておく。後の研究であるがクリストフ・コニュの「白い骨片 ナチス収容所囚人の隠し撮り」(2019宇京頼三訳)では①②と③④は離れた場所で異なる時間に撮影されており、③④はガス室に開いた、チクロンBのカプセルを通すための高さ2メートルほどのところにある約40cm四方の唯一の開口部にカメラをねじ込むようにして撮影されたのではないか?と推測している。(10)さらに撮影時間も影の出方から③④は午前10時から11時30分(11)、①②は午後15時から16時ころ(12)に撮影され、④の女性たちがガス室で処刑され①②で焼かれている、との推測を展開している。
*2 リヒターはこの「アトラス」においてホロコーストの写真とポルノグラフィーを並列展示することを企図し、制作したのだが結局取り下げたのだという。さらに彼は1997年にドイツの議事堂に作品を求められた時に当初ホロコーストの写真を使用した作品を企図したがこれも断念した経緯がある(13)
*3 展覧会のカタログに掲載された田中純氏の論考「樹皮としての絵画ー《ビルケナウ》とジョルジュ・ディディ=ユルベルマン」によると「ディデイ・ユルベルマンはリヒターがこの作品(ビルケナウ)を制作する直前に彼のアトリエを訪れ、まだ準備段階にあった画家に宛てた2通の書簡の形をとった作品論ー作品に先立つ作品論ーを執筆している。完成した《ビルケナウ》についてもディディ=ユルベルマンは2通の書簡形式の批評を書いており、以上の4通の書簡は『それがあったところ(Wo Es war)』と題され書物にまとめられ、2018年にドイツ語で刊行されている。」(14)
*4 ゾンダーコマンドを主人公としたネメシュ・ラースロー監督の映画「サウルの息子」(2015)をその証左、一つの成果として挙げておく。シャローフォーカスでゾンダーコマンドである主人公サウルを追い続けるこの作品は独特の没入感を備え、「想像不可能、表彰不可能なもの」とされてきたアウシュビッツの地獄を観るものに伝え、想像させることに成功している。
●「ビルケナウ」 制作のプロセスと「4点の写真」
前述のベンジャミンH.D.ブクロー(Benjamin H.D. Buchloh)の”Gerhard Richter’s Birkenau Paintings(2016)”には、この4枚の写真をベースにリヒターが本作の制作にあたった簡単な経緯がある。
リヒターはこの4点のうちの1点をフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(2008年2月11日)に載ったディディ・ユベルマンの研究書のレヴュー中に見つけ、研究書自体は読まなかったものの、写真は額装して仕事机の脇に置いた。その後リヒターはこれらの4点の写真を同じサイズの大きなキャンバスに投射したまま、次々とグラファイトでスケッチしていった。リヒターは彼が1987年に制作した『1977年10月18日』*5 のような暗色のグリサイユ画のやり方で、これらを仕上げることが多分可能であろうと計画していた。ほぼ1年に渡りこの作業は行っては来たりを繰り返し、長い逡巡を経て、リヒターはこの計画は、少なくとも彼にはできないし、他の誰にもできない、あるいは、もうこの時代にはできないし、これまでにもできなかった、達成不能なことであると認識するに至った。彼はこれらのアイコニックな絵画を上塗りすることで消去し、同じキャンバスに長くゆっくりと大きな抽象絵画を描いていった。(15)
とのことで、リヒターはこの写真をキャンパスに投影し、4点のフォトペインティングの制作を企図し実際にとりかかったのだが、頓挫し、フォトペインテングを塗りつぶし抽象絵画へ仕立てていったのだという。
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*5 『1977年10月18日』[1988年、CR 667-1〜3。668、669-1〜2、670、671-1〜3、672-1〜2、673、674-1〜2] は現在、ニューヨーク近代美術館所蔵。1977年10月18日に発見された、ドイツ赤軍メンバーの獄中死を扱った15枚のフォト・ペインテングによる連作油彩画。ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論 (ゲルハルト・リヒターほか著 ; 清水穣訳. -- 増補版. -- 淡交社, 2005.)の中に1989年に行われた本人とヤン・トルン=ブリッカーによるこの作品に関する対談がある。
●頓挫
元の写真は、「ガス室に人々を追いやる場面」とされている裸体の女性群④、フレーミングに失敗している③、そして①②が、ガス室から運び出された「死体焼却」という事後のカバー·アップともいえる作業現場の隠し撮りである。
この隠し撮りから1点を選ぶのではなく、4点でのモンタージュ効果を狙うことで、上述のように鑑賞者を、隠し撮りをした撮影者=アレックスの視点にシンクロさせ、撮影者の心理・感情を追体験させるように誘う。さらにこの写真の由来情報を付加することで、撮影者でゾンダーコマンドであるアレックスの圧倒的な絶望の中での使命感へのシンクロも促すことになる。
ここまでのリヒターのフォト・ペインティングで、このように、撮影者の時間を再構成し、その心理を描写するたぐいのモンタージュを採用した例はなかったように思う。リヒターはそこに新らしさを見出したはずであり、そのことは、特に単体の写真としては何も意味を持ち得ない③をあえてフォト・ペインティングした事実からも推量可能と考える。
ただ、結局、リヒターはこれらをフォト・ペインティングした後、これは達成不可能なプロジェクトであるとして作品を塗り込めることとなった。
前掲のブクローの著作と今回の展覧会のカタログには、①の写真イメージがどのようにキャンバスに描きとられ、塗りつぶされていき、最終形の「ビルケナウ」となっていったのか、そのプロセスが8点の日付(2014年7月15日から同年8月25日まで)を伴ったイメージとして掲載されている(上掲)。それによると、7月の15日にグラファイトでのデッサンがほぼ出来上がっており、7月の29日にはフォトペインティングがほぼ完成しているように見える。このフォトペインティングはそのサイズを考えると写真で得られる情報から想像しうるかなり詳細な補足描き込みがなされていたハズである。従来のリヒターのフォトペインティングはもとのイメージにベールをかけたような生な現実感を後退させ絵画ならではのリアリティーを得ている作品が多いと思うが、この段階では写真よりも現場感が増幅するたぐいの描写であったように見える。
このような描写をするうちにリヒターは当然画中の人物の視点にシンクロし、彼ら一人一人が何を見ていたのか、どのような状況に佇んでいたのかを想像したに違いないのである。このフォトペインティングの作業がそのような体験であること、それを体験していくことがこの作品の制作プロセスであることは、当初の計画の内に数えられていたことと思う。
ブクローが書くように、ほぼ一年逡巡した後にこの4点のフォトペイン·ティングをリヒターは達成不能として放棄する決断をする。
技術的にフォトペインティングの出来が気に入らなかったなどということは考えにくい。放棄した段階での作品の姿を観ることができる唯一の例が上述した①を元にしたフォト・ペインティングであるが、その作品はサイズを考えると十分に現場のあり様を伝え得ているし、作業をしているゾンダーコマンド達の視線を観る者に共有させ、世界を感得させ得ることには少なくとも成功するのではないかと思う。
さらに同様の手法で4点の絵画が揃うとすると、元の4点の写真が強力に構成する撮影者の心理・感情とその立場を拡大して伝達することに成功するはずだ。
リヒターは結局この方法でのプロジェクトを放棄したわけだから、そのような作品を世に問うことを忌避したことになる。地獄のような世界を拡大表象すること。収容所の実態を伝え、カバー・アップを暴く、ユダヤ人アレックスの使命感に鑑賞者がシンクロするように誘うこと。作品がいわばスペクタクルとして構成するであろうこのような事態をリヒターはよしとしなかったわけである。
●リヒターのポジション、作品の帯びる不可避の政治性
この作品を発表した場合、当然であるがリヒターはアレックスの体験とシンクロナイズしてフォトペインティングを制作し、言ってみれば告発者の立場に自らを置いた、と見られることになる。加害者であるドイツ人のアイデンティティーを意識するならば、居心地の悪い立場である。そして、その立ち位置は許されないと悟ったとしても不思議ではない。
となると自らの立ち位置をどう構成するのか?がこの主題に取り組む上での決定的な要素であることをこの制作を通して、再確認せざるを得なかったはずである。やはりどうしてもこの作品の制作自体が政治性を帯びるのである。
その結果リヒターはまず一旦描いたフォトペインティングを塗り込めることにした。ここに、現場でゾンダーコマンドを使役して行われていた加害者ドイツ人によるカバー・アップというコンセプトが立ち現れてくる。
●カバー・アップ
「取り返しのつかないこと」のカバー・アップを行う。
例えば死体を隠蔽するために壁に漆喰で塗り込めたのだが、時間と共に死体からの血液や体液が壁に染み出し「かさぶた」のように凝固し模様を作る、さらにそれをカバー・アップしようとするのだがいくら塗り固めても新たな染みが現れる。
「取り返しのつかなさ」をカバー・アップする側の心理にシンクロしながら、カバー・アップ不能に陥っていくその心理が画面に渦巻き、そこに巨大な感情が溢れる。この問題を直接表象することの困難につきあたったリヒターが見出したポジションはこのような立ち位置ではないだろうか?
戦後のドイツはこの「取り返しのつかない」事象を直視し、そこをグラウンド・ゼロとして国家を構成しなければならなかった。ただ「取り返しのつかない」この事象が解消することはなく、合理化さえ不能である。埋葬し結末をつけることの不可能性。カバー・アップにもがいてみても奥底から痕跡が染み出してくることを止めることはできない。この「ビルケナウ」では、それでも、それに対処しようとする行為が絶望的な心理から来る感情の放流となって画面に渦巻くのである。
ブクローによるとリヒターは「ホロコースト」を考える上で、アドルノの「過去の総括とは何を意味するのか」に影響を受けているとのことである。(16) 加害者が総括を言い出すときにそこにはどうしても、その行為を期に一区切りつけたい、忘れてしまいたい、という願望がこめられる。
「…過去の総括ということが意味しているのは、過ぎ去ったことと真剣に取り組むとか、明晰な意識をもって過去の呪縛を打ち破るとかいうことではありません。そうではなく過去にけりをつけて、できることなら過去そのものを記憶から消し去りたいと思っているのです。一切を水に流しましょう、という不当な仕打ちを被った人にこそ似つかわしい素振りを、不正行為を犯した側の支持者たちがしているのです。」(17)とアドルノは指摘する。
この総括の不当性という問題を考えると、加害者による「ホロコースト」という「取り返しのつかないこと」を表象する作品の企図自体の不可能性の問題を考え続けることになる。
リヒター82歳にしてのこの問題の彼なりの解が「ビルケナウ」なのであることを考えると、ここに表された心理や感情が「ホロコースト」の総括・埋葬であることはあり得ない。そうではなくリヒターの見出したポジションは総括・埋葬の不可能性との限りない取り組みを背負うポジションであり、「ホロコースト」を表象する作品の制作行為は、その立場から悪事の痕跡のとめどない顕現に対処しようとする絶望的な心理や感情の主観的時間を表象すること以外ではありえないかったのではないだろうか?
●デジタル・コピーとグレーの鏡
この、加害者による「ホロコースト」の表象に取り組む主観的時間の現れは、「ホロコースト」の現場が写真に撮られたように、今回はカバー・アップした本人によって複製が作られたのである。
そのデジタル・コピーとは何か?
デジタル・コピーを作成したことに関して、前掲のブクローは、それは「ホロコースト」が絶対的な特異点ではなく、歴史上何度も繰り返された、今後も繰り返され得る事象であることをリヒターは示唆している、という論点を他のいくつかの論点とともに提示している。(18)
今回の展示ではこのデジタル・コピーをオリジナルに対面する形で配置し、その両面と直行する面に、それらイメージをある意味不明瞭に増幅するグレーの鏡を配置することで、鑑賞者を巻き込みつつのさらなるイメージの増殖が図られている。鑑賞する我々はビルケナウの内部に含みこまれ、グレーの鏡による不確かさに囚われながら、繰り返され増幅されるその場を生きることになるのである。
この「ホロコースト」が絶対的な特異点ではなく繰り返されるものであるとする論点は、他の展示室に展示された多数の単に「アブストラクト・ペインティング」と命名された抽象画群、その中に唯一意味のあるタイトルがつけられた「ヨシュア」と命名された作品に重なってくる。
●「ヨシュア」と「アブストラクト・ペインティング」
上掲が「ヨシュア」と命名された「アブストラクト・ペインティング」である。展覧会では「ビルケナウ」の直後2016年から17年あたりに制作され単に「アブストラクト・ペインティング」と名付けられた多数の作品群が展示された。大きめの作品が6−7点それより小さな作品が5−6点、小さな作品が7−8点あったと思う。その大きめな作品の内、上掲の1点だけが「ヨシュア」と命名されていた。
「ヨシュア」はユダヤ人の一般的な名前とも言えるが、旧約聖書でモーセを継いだユダヤの指導者にして約束の地カナンを武力で制圧した「ヨシュア」、ヱリコの戦いのほか、パレスチナの地で住民を民族浄化した「ヨシュア」が連想される。この名前は、戦後現在まで続くイスラエルとパレスチナの問題を同時に想起させる。リヒターがこの作品を「ヨシュア」と名付けた意図はどのようなものだろうか?被害者が加害者になり、加害者が被害者になる、なっているという事態に対するリヒターの言及であると考えられるが、本人が何か具体的に発言したわけではない。
考えてみれば、『1977年10月18日』でバーダー・マインホフ事件のフォトペインティングを行ったわけで、リヒターは世代的にもパレスチナ問題に無関心ではいられなかったはずである。ドイツ人であるという自身のアイデンティティを考えに入れ、ホロコーストの表象を幾度も試み、「ビルケナウ」をもって成し遂げ得たと考えた段階で、自身の次のテーマとしてパレスチナ問題に着目することは彼にとって自然な流れであるように見える。ただし、ホロコーストが繰り返され、それがイスラエルのシオニストによって現に行われているという事実を、いかにアンチセメティズムとの批判を受けずに表象できるのか?ということは、これも彼のドイツ人であるアイデンティティを考え合わせた表現を目指すとなると、かなり困難なテーマであったと考えられる。今回のガザの問題に対するドイツ政府の対応をみればその困難さは想像する以上のものであるに違いない。
2023年11月7日、ベンジャミン・ネタニヤフが「ヨシュア」の名を挙げ、3000年のユダヤ人のヒーローのチェインに加わるようにイスラエル国民に呼びかけた。ガザでは民族浄化を目的としているとしか考えられないイスラエルによる残酷な大虐殺が続いている。
この現状を鑑みると、リヒターの2022年の展示は予言的ですらあったように思う。
●エル·グレコ
さて、若干蛇足ではあるが「ビルケナウ」の一番右の作品を眺めているとエル・グレコ風の顔が浮き上がってくる。ここにギリシャ系ユダヤ人であったというアレックスを重ねたくなる。他にも一番左端の作品にサングラスをかけ帽子を被った男の顔、それも縦のスリットで分断され合成された顔が浮かび上がってくるなど、この手の抽象画は長く見ていると色々な絵を結ぶように見えてくる。リヒター自身も描いている課程で様々な形態を見出し利用していったことと思うので、このあたりのロールシャッハー的な形象の指摘は鑑賞者それぞれに委ねられ、それこそ多様な指摘が今後も行われることになるだろう。ただ、コントロールされているものと感じられる形象があり、それは、上述した制作プロセスの明らかな①をベースにした作品で、写真で一番注目を引くセンターの腕を上げている男が赤を背景にそれとわかるシルエットとなって現れ出ている。
引用文献:
(1)対談 ゲルハルト・リヒター /ディーター・シュヴァルツ 2017年11月20日、ケルンにて 翻訳:鈴木俊晴,桝田倫広 ゲルハルト・リヒター = Gerhard Richter 桝田倫広, 鈴木俊晴監修. -- 青幻舎, 2022. p227
(2)文化の記録、蛮行の記録ーゲルハルト・リヒターの《ビルケナウ》ベンジャミン・H.D.ブクロー ゲルハルト・リヒター = Gerhard Richter 桝田倫広, 鈴木俊晴監修. -- 青幻舎, 2022. p243
(3)文化の記録、蛮行の記録: p249
(4)文化の記録、蛮行の記録: p249
(5)イメージ、それでもなお : アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真 / ジョルジュ・ディディ=ユベルマン著 ; 橋本一径訳; --平凡社 , 2006. p9
(6)イメージ、それでもなお : アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真 / ジョルジュ・ディディ=ユベルマン著 ; 橋本一径訳; --平凡社 , 2006.
(7)イメージ、それでもなお : p50-51
(8)イメージ、それでもなお : p51-53
(9)イメージ、それでもなお : p9
(10)白い骨片 : ナチ収容所囚人の隠し撮り クリストフ・コニェ著 ; 宇京頼三訳. -- 白水社, 2020. p461
(11)白い骨片 : p370
(12)白い骨片 : p376
(13)文化の記録、蛮行の記録: p253
(14)「樹皮としての絵画ー《ビルケナウ》とジョルジュ・ディディ=ユルベルマン」 田中純著 ; ゲルハルト・リヒター = Gerhard Richter 桝田倫広, 鈴木俊晴監修. -- 青幻舎, 2022. p237
(15)Benjamin H. D. Buchloh. Gerhard Richters Birkenau-Paintings ---Verlag der Buchhandlung Walther Konig, Koln, 2016. 英語版 Gerhard Richter (アーティスト), Benjamin H. D. Buchloh (著) p21−22、翻訳は筆者
(16)文化の記録: p244
(17)自律への教育 : 講演およびヘルムート・ベッカーとの対話 : 一九五九〜一九六九 テオドール・W・アドルノ著 ; ゲルト・カーデルバッハ編 ; 原千史, 小田智敏, 柿木伸之訳. -- 中央公論新社, 2011. p10
(18)文化の記録、蛮行の記録: p251
参考図書:
ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論 ゲルハルト・リヒターほか著 ; 清水穣訳. -- 増補版. -- 淡交社, 2005.
評伝ゲルハルト・リヒター ディートマー・エルガー著 ; 清水穣訳. -- 美術出版社, 2017. <BB01151311>
ゲルハルト・リヒター : 絵画の未来へ 林寿美著. -- 水声社, 2022. -- (現代美術スタディーズ).
戦争の罪を問う カール・ヤスパース著 ; 橋本文夫訳 ; 256. -- 平凡社, 1998. -- (平凡社ライブラリー ; 256).
Benjamin H. D. Buchloh. Gerhard Richters Birkenau-Paintings ---Verlag der Buchhandlung Walther Konig, Koln, 2016. 英語版 Gerhard Richter (アーティスト), Benjamin H. D. Buchloh (著)
[論考]イメージと倫理の位相 ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ》とアウシュヴィッツ 西野路代=文 美術手帖2022年7月号-- 美術出版社, 2022. --
イメージ、それでもなお : アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真 / ジョルジュ・ディディ=ユベルマン著 ; 橋本一径訳; --平凡社 , 2006.
場所、それでもなお ジョルジュ・ディディ=ユベルマン著 ; 江澤健一郎訳 -- 月曜社, 2023.1.
私はガス室の「特殊任務」をしていた : 知られざるアウシュヴィッツの悪夢 シュロモ・ヴェネツィア著 ; 鳥取絹子訳. -- 河出書房新社, 2008.
ショアー クロード・ランズマン著 ; 高橋武智訳. -- 第7刷. -- 作品社, 1997.