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詰んだ・・現在50歳・・後5日で51歳の現実。

私は現在、家庭持ち50歳の職業はドライバーです。
18歳の時に車の整備士からスタートして約2年で転職をしてからは20代はコロコロと転職を繰り返しました。
もともと整備士という手に職をというカテゴリーを選択をしたせいなのか、自分では特には意識をしてはいなかったのですが、割と職人系?の会社を選んでおり、それは今も生かされています。

免許や経験というところでは、倉庫にてリフト作業員✕2、溶接士✕2、機械の組み立て(頭がついていけなかったので、塗装作業に回される)、金属の熱処理の管理、プラスチックの成形作業など、転職の合間に大型の免許を取る・・・乗れてないですが。

最終的にはリフトの免許が生きて、倉庫作業員として定着をして暫くは落ち着いていまして、その間に結婚し、子どもが出来て、年齢が経つに連れて収入が上がり、そこそこの生活は出来て暫くは大きな波風のない日々を過ごせていました。

転機は親会社に借金をしての新倉庫設立と移転でした。

といっても移転先は、ほんの500m程度の場所への移動です。

21年間狭いながらも何とかやりくりをして少人数で倉庫保管をしてきたものがほぼ倍・・・リフト作業員とはいえ大半は手作業、他の棟との掛け持ちも当たり前の状態からさらに肩に重しが掛かる現実、期待は正社員の増員・・・

も虚しく現社長からの一言、正社員を雇うつもりはない、あっても応援派遣に留める・・とのことが間接的に伝わり、
今まで何とかと我慢をしながら頑張ってきた同僚も、少ない人数の中でポツポツと辞めていく現状で家庭持ち50歳間近、当時47歳の自分の決断は
転職するでした。

家族を説得して辞める意向が固まってからは行動も早いですね、ただ就職先は厳しく自分の年齢と経験で探せたのは運送業だけでした。

しかも早く実務を重ねて生活に一段落をつけたかったので、有給の2ヶ月間から初めての10トントラックの横乗りをスタート・・させたかったのですが朝3時起き4時出発に体がついて行けず、業務に頭がついて行けず、何とか交代をして運転手を経験をしたときには既に疲弊した状態で運転をしていました・・が、やはり所長さんには察知されており、暫く構内の運転にて技術を磨くことになりました。
ところが自分のやる気の消失に呼応したのか同僚がトラックを壊してしまうということが起こり、自分の練習車を使うという形になり、
ここぞとばかり理由を付けて辞めてしまいました。
ここで前職の有給期間終了です。

ここからは、ほとんどヤケクソ状態での就職活動でした。
心の中では、こんなはずではと絶えず後悔の鐘がなる中、当時の倉庫業で出入りしていた運送業者さんで割と評判が良かったところに面接にいくも金銭面での折り合いがつかず、
テニス仲間からの紹介から何とか入ることが出来た某大手電気会社からは2日目の研修の際に交代制の部署ではないことが分かり移動をお願いをするも難しく、アルバイトの給与ではやっては行けないと退社、
やっとのことで派遣社員でしたが給与の折り合いがついて就職についた倉庫業は半年間のパワハラにて退社、
再度、2トン車のパワーゲート車から業務を始められるとの声がけで入った会社も最終的にユニック車に転身も、その後、次々と辞めていき日曜出勤2日以上を掲げられ退社、

現在は産業廃棄物の運送会社にてユニック車を走らせて1年何ヶ月、何とか生活が出来る様になってきました。
もちろん良かった、良かったという訳ではなく、もしかしたら一番ヤバいんではないかという思いはありますが、そこはぐっと堪えてやっております。

長々と文章を綴らせていただいて、これから2025年を迎えるのに自分自身の反省点や今後の人生の進み方などを一度振り返り客観的に見ることが出来る機会にもなり、
読まれた方に置かれましても何かしらの気づきになれば幸いです。

大半は愚痴と後悔の吐露・・・ですね。


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おさやす
ありがとうございます。 今後とも宜しくお願い致します。