見出し画像

写真における余裕の効能

こんなツイートをしました。

ーーーー
鉄道写真において、荒れる撮影地は余裕がないです。
・古い車両の引退まで時間的余裕がない
・失敗したらまた来れるだけの金銭的余裕がない人が多い
・珍しい車両を狙うので、今日成功しなくても大丈夫という精神的余裕がない
・撮影地が狭いので、スペース的余裕が無い
ーーーー

古い車両に所狭しと集まる撮影は、荒れるリスクが高いです(もちろん、荒れない時の方が多いですが)

これをきっかけに、余裕が与える作品作りとしての写真への効能を考えてみました。余裕がない=失敗できないので、とにかく守った写真になります。そういう写真はどうなるかと言うと、二度と見返さないものになりがちです。
じゃあ「余裕がある状態」の方が肩肘の力が抜けて良い写真の確率が上がる、と考えた方が良さそう。さて、余裕をつくるために全部上の逆を行けば良いわけですが、そうは言ってもなかなか難しいです。

たとえ車両が珍しくなくたって、木次線や只見線で撮影していれば本数が少ないという問題がありますし、旅行中の撮影ならもう一度来るのは簡単ではありません。


だからこそ、マンネリを恐れず近場の同じ場所で撮影し、失敗しても良いという「余裕」を産んで攻める姿勢を感覚的に理解する、というのは結構有効なわけです。

そんなこと言ったって色んな路線に行きたい、本数少ない路線も撮りたいというのが鉄ちゃんの性。じゃあどうするか。どんな列車にも汎用的に使いやすい解決策は、カメラの台数追加です。抑えで三脚にカメラ一台、攻めで手持ち一台なんて役割分担をしてしまう方法ですね。守りカットは精神安定剤にしかなってない場合がほとんどですが、「ボウズじゃない」という安心感は、限られた時間と予算で撮影する人にとっては無意識的に欲しくなるもの。これを満たすだけでだいぶ考え方を変えられます。

ただこの方法は欠点があって、候補の場所が大きく離れていれば、攻めか守りどっちか選ばないといけません(物理的にシャッターが押せないのはどうしようも無い)。そんな時は、「また来週も全く同じシチュエーションに来れるとしたらどっちに行くか?」と無理やり余裕を作って考えるメンタル的解決方法を取るしかないかなと思います。

定番の俯瞰撮影地か、牛を追うか。俯瞰を捨てて牛を追ったことで、新しい視点が見つかりました

何が言いたいかというと、良い写真を撮るには虚勢でも良いから余裕がいるんじゃないかなということでした。


いいなと思ったら応援しよう!