ゆとり世代とさとり世代とZ世代の狭間で
20代半ばの方々。自分は何世代だと自認していますか?
そもそもゆとり世代/さとり世代は日本の概念、Z世代はアメリカの概念なので並べるのはおかしいんですが、その辺そこまでガチっと使い分けるわけでもないので、ぬるっと並べてみました。
定義は結構人によってズレそうですが、とりあえずコパイロットに聞いてみました。
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もちろんです。ゆとり世代、さとり世代、そしてZ世代には、それぞれ異なる特徴や背景があります。
ゆとり世代
定義: 1987年から2004年頃に生まれた世代。
背景: 日本の教育制度改革(ゆとり教育)により、詰め込み教育から脱却し、授業時間や学習内容が減少。
特徴: 自由な時間が増えたため、自主性や創造力を重視する一方で、基礎学力の低下が懸念されることも。
さとり世代
・定義: 主に1990年代後半から2000年代前半に生まれた人たちの中で、物質的欲求が少なく、落ち着いたライフスタイルを志向する若者層を指します。
特徴:
高度経済成長期のような大量消費や競争を望まず、身の丈に合った生活を重視。
過度な贅沢や派手な生活に興味がない。
スマートフォンやインターネットを日常的に活用し、情報に敏感。
Z世代
定義: 主に1995年以降に生まれ、2020年代に成人する世代。
特徴:
デジタルネイティブであり、幼少期からインターネットやデジタルデバイスに囲まれて育ちました。
多様性やインクルージョンに対する意識が高く、社会的な課題に敏感。
SNSを活用して自己表現やコミュニケーションを行うことが一般的。
環境問題や社会的公正に関心が強い。
これらの世代はそれぞれ異なる時代背景や社会状況の中で育ったため、価値観やライフスタイルにも違いがあります。何か具体的に気になるポイントがあれば、さらに詳しくお答えします!
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だそうです。webサイトを何個か見てみたり、自分の感覚も振り返ってみたりしましたが、大外しはしていないのかなと思います。
そう、この三世代、年代被ってるんですよね〜。だから、自分はゆとり世代でもさとり世代でもZ世代でもある、みたいな自認も出来てしまうわけですね。
まず、ゆとり世代に関して。これは正直、詰め込みとの差が分からないので何とも……というところではありますが、昔の学校の厳しい環境の話を聞くと、幾分優しい環境で育ったのは間違いないのかなと思います。パワハラ的な指導はまだまだありましたし、今では絶滅危惧種のヤンキーもまだ居ましたが、比較的優しい人に囲まれて育ったかもとは思います。
さとり世代に関して。多分自認に一番近い感覚はこれ。見栄を張るとかカッコつけるといったことにはあまり興味がなく、むしろ「現実感」により重点を置き、実用性が大好き。車で言えば、クラウンよりもプロボックスが好き。もちろん、単純に「カッコ良い」もあるんだけど、世間一般の「カッコ良い」よりも、自分の感性による「カッコ良い」を信じています。
ただ、さとり世代と一つ違うなと思うのは、競争本能がそれなりに高いこと。ここはむしろZ世代的かもしれません。デジタルネイティブで、一般人によるジャッジが残酷なくらい手元に上がってくるのが当たり前。自分がどういうジャッジを受けたいかということには結構敏感で、人目もそれなりに気にします。どういうメッセージとして受容されるか、そんなことも考えます。
体育会的な文化を好まないのは、ゆとり世代やZ世代っぽいのかもしれません。多様性にも寛容ですしね。こういう人種、リンデン選手の加害に対して猛然と立ち向かう里崎智也捕手のような、加害に対して敏感に反応するということが苦手なんですね。
いわゆるノイジーマイノリティの問題も含め、(特に荒っぽく)声を上げる人に対してどうも黙ってしまう。喧嘩をして来なかったが故に、加害に対して加害で対抗する術は身についていないですね。加害や喧嘩に慣らされた人間は頭の回転が全く違います。命懸けで加害や喧嘩をし慣れた人間が持つ「ここはガンガン行こう」、「ここは身を引こう」という感覚を十分に体得できていないので、必要以上に引いてモヤモヤを残したり、必要以上に突っ込んで大火傷したり。ここの文化の断裂ってある程度の年齢になるともう取り返せない。やってきた人間はやっぱり明確に強いし、怖いですよ。ダイバーシティを正義とする今の時代、今後はそんな文化廃れてくれとは思いますが、どうでしょうね。この辺り、エポックメイキングな出来ごとの一つはPL学園の凋落かもな、とも思ったり。
さて、一人の狭間世代の人が、自分は何世代なのか?を考えてみましたが、どうでしょう。この辺の世代も「Z世代ですからまだ若いよ!」と言っていると、「その発言自体おじさんだね」なんて言われてしまう立場になってきました。
ここから個人の所感。キャラを演じる、なんてことを強いられてきた世代なので、加齢とともに勝手にキャラ変して行った時に自分のアイデンティティがどうなるのかな、というのは気になるポイント。世代名もこんな調子じゃ拠り所にはなりません。もう少し自分をメタ的に捉えられると良いのかな、というのが今後の課題ですかね。