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20240809

赤ちゃんには感情が「快」と「不快」の2パターンしかないらしい。不快だったら泣いて、快かったら笑顔を湛えて、まるで自分の敵なんて誰一人として存在しないとでもいうような顔で眠りにつく。それから少しずつ時間をかけて、赤ちゃんは赤ちゃんと呼ばれなくなって、何が嫌なのか、何が嬉しくて何が好きなのか、どうして嫌なのか、どんな喜びなのか、わかってゆく。「わたし」と「わたし以外」の区別がついて、全員がわたしの味方なわけじゃないことがわかってゆく。わかってゆくらしい。

頭の中がぐちゃぐちゃでぎちぎちだった。考えることがたくさんあって、考えることに感情を伴わせるのが大切だと思っているから、感情のことをたくさん考えて、何が嬉しかったのか、何が嫌で涙が出るのか、何が苦しくて画面から目を離せないのか、何が…何がダメで眠れないのか、たくさんたくさんたくさんたくさん考えなくちゃいけなかった。耳から入ってくる音が私の考えを奪って、苦手な祖母の声が私の脳みそを撹乱して、いらない通知が私の視界を濁した。私はもしかしたらみんながたくさん考えなくても獲得した感情に疎くて、感情に対応する言葉を知らなくて、小学生みたいな語彙で検索欄に言葉を並べた。検索って知らないことを知るためにするものなはずなのに、検索しても感情のことはわからなかった。知っている言葉の類義語が並んで、私は類語辞典をひいてるんじゃなくて、無限ともとれるような有限の大百科をひいているんだよ馬鹿、と悲しくなった。悲しくなったって言ったけれど、これが本当に悲しいってことなのかもよくわからなかった。単純に知識欲が満たされなくて不満なのかもしれないし、他者と自分の状況を共有できなくて孤独を感じているのかもしれない。わからないから検索するのに、インターネットで豊かになったはずの生活はだんだん霞んでいって悲しかった。また悲しかったって。もうわからない。

大体おかしくなるときはインプットかアウトプットが足りないときで、最近はどちらかというとどちらも足りないかも、みたいな感覚だった。初めて本気で恋をして、好きな人のことをたくさん考えた。アイドルが歌う恋愛ソングの歌詞に共感したのは初めてだった。そういうインプット、なんだか他者を軸に置いたようなインプットが多くて、私が置いてけぼりにされるような感じだった。本当はそんなことは全然なくて、相手のことを考えるときは自分自身のことを考えるときなのだけれど、そういう思考すらもエゴイスティックなんじゃないかと思って自分から排除したいとすら思ってしまうような無限ループだった。好きな人といると心が知らない動き方をするから、これがなんなのかわからなくて、そのまま涙に変わったりして、私はまだ正真正銘の赤ちゃんで、快不快でしかものを考えられない未熟な人間なんじゃないか、なんて極論に至ったことすらある。中途半端なインプットでは何もわからなくて、中途半端なアウトプットをするしか無くなるまで追い詰められた。どうしてこうもうまくいかないんだろう。

自分のことを特別な人間だと思うのは嫌だった。そんなわけはないんだし。私じゃない人は私に無いものを必ず持っているのだから、本当はその部分に敬意を表して、たくさんの人と関わって、自分自身をブラッシュアップするのが理想だと思っている。思っていても行動に移せないことはあった。私の鎧が硬すぎて、これをどうやって柔らかくするのかよくわからないまま、もう私は少女を名乗る年齢じゃなくなった。お酒を飲んで吐いて、終電を逃して人の家に転がり込む年齢になってしまった。私は本当に、本当にこんな大人になりたかったのか、わからなくて、そもそも私は大人になりたかったのかすらわからなくて、いつまでも少女のままでいたかっただけかもしれない、快不快しか知らない子供のままでいたかったのかもしれない、鎧が硬くなる前の私に戻りたいのかもしれない、もう少し私の深くまで他者を迎え入れられていた私に戻りたいのかもしれない。そういう意味で、特別な人間の、少女に憧れているのかもしれなかった、自身の中の少女を追い求めているのかもしれなかった。不可逆な私はもし選択を間違えたらどうすればいいんだろう、誰かを傷つけたらどうすればいいんだろう。

文章を残すようになってからずっと、私は自分の子供の部分と大人の部分の間で苦しいままで、変化をしているはずなのに 分化した感情に名前をつける余裕のないまま進んでいる。世界は残酷なくらい不可逆で、私はこれまで何かを取りこぼしたのかな、とか、もう今更意味のない心配をしたりする。変化をするのはいいことだ。自身の目指すものへと歩みを進める中で、変われないことは苦しいことだから、大事にしているものを大事にし続けながら変えたいものを変えてゆくべきだと思う。過去に後悔はなくとも、変化を肯定していても、立ち止まって文章を書く自由くらいはあると思う。2024年8月9日の私はこれだった。

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