老子。なぜこの本を読んでみようと思ったのか。
きっかけは約半年前、日照時間が短く寒いスウェーデンでのある一日。
家を出てすぐにある川沿いを散歩しようと思って歩いていると、急におばあさんが私に話しかけてきました。
はじめはスウェーデン語で何を喋っているのか分からなかったので、「Jag talar inte svenska.(スウェーデン語喋れないんだ)」と言うと、「Oh then we can talk in English!」と、後に分かったのですが、80歳になるスウェーデン人のおばあさんが流暢な英語を話しはじめました。
その内容は「世界ってどうやって始まったと思う?」「あなたは神様を信じている?」というもので、いわゆる彼女はキリスト教信仰者。
なんだかんだで話しを続けていると、(めちゃくちゃ寒かったし)時間もかなり経っていたし、決して彼女は悪い人ではなく、優しい人だなと話していて感じていたので、連絡先を交換し、何度かカフェに行って他愛もない話しをするという友人関係になりました。
まあそこで彼女のキリスト教との出会いの話しなどを聞いたりするのですが、「ここまで何かを信じられる理由ってなんなんだろう?」と不思議に思うようになりました。
また、お正月や何かがあると神社やお寺に行ってお参りをしたりする我々日本人ですが、「自分の日本人としてのルーツってなんなんだろう?」と疑問に思うようになりました。
これは彼女との話だけではなく、チームでキリスト教がお祝いをする祝日の日にチームメイトと話をしていて、彼ら彼女らが何をどうして祝っているのかを知るのが楽しかったし、同時に日本では何をどうして祝っているのかを上手く答えられなかった悔しさがあった、というのもあります。
今回の老子は元々中国が発祥のものですが、日本文化は漢字もそうですし、中国から大きな影響を受けていると考えると、この本をまず始めに読んでみると面白いかなと思ったので読んでみました。
前置きが長くなりましたが、具体的に老子とは誰か、道教とは何かを見ていきたいと思います。
まず、老子とは、‘中国春秋時代の哲学者’と書かれていますが、紀元前500年前から〜400年前の時代の人物です。
これから老子が説明していることを少し紹介したいと思いますが、正直それらが全て紀元前に書かれているとは信じられません。
前回のnote「8 チ。-地球の運動について-」で、私がなぜ言葉が好きなのかをヨレンタさんの言葉を紹介して説明しましたが、まさにこれです。
何千年も前の思考に触れること、学べること、心が動かされることができるんですよね。今回の老子は、その最たる例です。
話しを戻します。
その中国春愁時代という時代は古代中国の中で国内が分裂したり、後の戦国時代と合わせて語られることが多いほど争いが多い時代でした。(細かいことは分からないので知りたい方は自分で調べて下さい)
そんな時代から現在に至るまで評価をされた老子、道教は、具体的にどんなものなのか。
これだけでは老子が言う「道」というものは理解しきれないと思います。
本の中には他にも「道」に関しての説明や例えがいくつか書かれていますが、それでも私は「道」を完全に理解し「道」と一体化をするということは、本を一回読むだけではできませんでした。(なので内容紹介もザックリとしています。)
しかし、老子の物事に対する考え方や人としての在り方は、現代を生きる私達が取り入れるべきものは多く、それを行動に移していくことで「道」と一つになることができるんだろうなと感じています。
心に残った文をいくつか紹介します。
老子が言うように、きっと資本主義を生きる私たちには、いやだからこそ、何かを増やしていくことよりも、減らしていくことの方が私たちをより幸せにし、より豊かにしてくれるんだなと思うし、それでも減らすことを不安に思えてくるのは‘文明の毒’であるんだと思います。
全部を減らすべきだとは全く思わないけれど、自分の幸せや豊かさにおいて何を減らすべきで、何を増やすべきなのか、自分なりの軸を養っていくことが重要なんだなと思います。
私は毒を減らし、自然に触れる時間を増やしていきたいと思います。
皆さんは何を減らして、何を増やしますか?
是非、今の世の中に疑問があったり、自分はこうしたいけど何かを気にしてしまってできないと考えている人は読んでみてください。
閉館のお時間です。
本日もご来館ありがとうございました。